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INTERVIEW No.03
岸 健太 / Kenta Kishi
今回は東京芸術大学で助手を勤める建築家の岸健太さんに、近作である「九段下ビル」の改修計画と、その設計手法についてお伺いしました。
計画は築70年以上を経た雑居ビルの一室をデジタルコンテンツ製作会社のサロンとして再生するというものです。
(「室内」2000年3月号 工作社 に詳細情報が掲載されています)
ブルースタジオ(以下BS) 岸 健太(以下KK)
BS | 建築物の改装設計をするということは、まず存在するモノとどう対峙するかという事から始まるわけですが、今回お話いただく「九段下ビル」の場合はどのような着眼点からプロジェクトを進められたのでしょうか? |
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KK | 「九段下ビル」は震災後の復興政策の一環の中で、コーポラティブハウスの先駆けとして建設された地域商店主達の共同体による長家形式の住宅+店鋪ビルでした。それから70年以上の歳月を経て、当然時代の流れにあわせた様々な使われ方、つまり改装を重ねて来た事が想像されました。
そこで私達はその痕跡を、内装の表皮を丁寧に剥がして行くという行為によって探る事から始めたんです。設計はその過程で得るインスピレーションから何度も変更を重ねました。 |
BS | つまり建物の持つ歴史と対話しながら設計をされたという事ですね。 |
KK | そうです。私は歴史的建造物を保存するという行為は歴史を凍結させ標本化してしまう事に等しいと思っています。それはそれでとても貴重な作業なのですが、今回のケースでは建築物のモノとしての価値をどう操作するかというよりはむしろその歴史そのものを価値として認め、それを自分達なりの解釈で読み取りながら設計に反影させようと思いました。つまり歴史にヒントを得ながらさらに新しい歴史を刻み込むという行為を行なったわけです。 |
BS | 内装を剥がして行く過程でどのような発見があったのですか。 |
KK | 発掘作業のようでしたね。度重なる改装によって歴史がそのまま層をなしていましたよ。仕上げが様々なのは言うまでも無く、塗り込められていた古い欄間、貫の跡が残る床柱や、それ以外にも古い新聞などの拾得物も歴史をありありと物語っていましたね。 |
BS | 実際にはそれらの発見から得るインスピレーションをどのように設計に反影させたのですか? |
KK | 例えば床には現況で畳が敷いてあったのですが、それを剥がすと四角い穴があいた床板が出て来ました。そしてその穴の周囲には油が飛び散った痕跡が見られたんです。おそらく金属を扱う工作機械がそこに設置されていたのでしょうね。つまりこの部屋はある時代その機械の為に存在して、そこから何かが生み出されていたという事を物語っていたんです。今回の与条件はクリエイティブな発想が生み出される場という事ですから、是非ともこの痕跡をそこに繋げたいと考えました。 |
BS | この写真に見えるテーブルの位置がその穴があった場所ですか? |
KK | そうです。穴は計3つありましたから、その穴の形をそのままコンクリートの塊として立ち上げ、打ち合わせテーブルの足としました。現在のこの部屋の主役はこの活発な対話が行なわれ又作業が行なわれるこのテーブルになっています。つまり痕跡が育って今の形になったという事ですね。このように他の部分についても、次々と発見される歴史と対話しながら僕達なりの解釈をそこに重ね設計を進めていきました。 |
BS | 建築家とは一般的にまず与条件に対してプロポーザルを行ない、後はそれを実施するための作業を行なうというのがその職能だと思うのですが、今回のプロジェクトではその最初のプロポーザルが無かったわけですね。 |
KK | 僕はこれからの建築家のあり方というものをかつての建築家と比べて考えるのですが、今まで人々が考えていた建築家とは、良くも悪くもその「エゴ」に近い主観性を価値として営んできたのではないかと思うんです。だけれども現在のように強烈なスタイル、主義あるいはイデオロギーのようなものが生まれにくい状況においては、もう一つの職能である様々な要素との「コミュニケーション」自体が非常に大事になってくるのではないかと思います。
アクティブでもパッシブでもない「対等な対話」というところから生まれてくるものの可能性は非常に大きなものがあると思います。 |
BS | それは一般的に考えられる建築家の行なうコミュニケーションとは何が違うのでしょうか? |
KK | 建築家は当然クライアントや施工者、その他の与条件とどうやりあって行くかということが大事な職務なのですが、これをあくまでも対等なものと考えて対話を怠らないということだと思います。漠然としたことのようですが、今までの建築家とは「建設業」という社会構造の中で暴力的になったり劣位にまわったりと、常にその社会の中での自分の立場をあまりにも意識し過ぎていたのではないでしょうか。 |
BS | なるほど、これはまさに私自身ドメスティックデザインネットワークの活動を通してテーマとして行きたい所なんですよ。おそらく建築設計に限ることなく、他のデザインや、コンサルティングという分野においても同じ事が言えると思いますね。 本日はお忙しい中有り難うございました。 |
2001年5月21日 東京芸術大学内、岸氏アトリエにて
インタビュアー:大島芳彦(blue studio)
岸 健太
Kenta Kishi
建築家
1969年東京都生まれ
1998年Cranbrook Academy of Art(米国) 修了
1998年LaSalle-SIA College of the Arts (シンガポール)、Temasek Polytechnic (同)招聘講師
現在東京芸術大学美術学部建築科常勤助手
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