blue studioトップページ > Magazine > INTERVIEW > No.05 <「アート/建築の位置性」~「社会」におけるアートの可能性を探る~> 田中陽明 / Haruaki Tanaka
INTERVIEW No.05
田中陽明 / Haruaki Tanaka
今回のトピックスはアーティスト/ディレクター/建築デザイナーとして国内外で活躍中の田中陽明氏にスポットを当てます。
ブルースタジオ(以下BS) 田中陽明(以下HT)
BS | 本日は田中さんに個人及びflowとしての活動を通したアート/建築の社会的位置付けやその可能性についてお伺い出来ればと思っています。 現在、帯広と鹿児島にて興味深いプロジェクトが進行中ですが、まずはこれらの概要ついてお話ししていただけますでしょうか? |
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HT | わかりました。最初に帯広で展開中のプロジェクトについて説明します。
とかち国際現代アート展『デメーテル』という国際現代アート展が7月から開始されます。この展覧会は作品を集めてきて展示するのではなく、アーティストが帯広を訪れ、場所の特性を読み取り、その場所でしか成立しえない作品を作り上げる、というものです。総合ディレクターが以前からお世話になっているP3の芹沢高志さんなのですが、その中で「m」や「秋葉原TV」などで知られるアーティストの中村政人、ブルースタジオさんとも馴染みの深い建築家の岸健太及び私との3名で 「nIALL(ニアル)」プロジェクトなるものを展開します。
nIALL(ニアル)はアートの社会介入のためのオープンプロセスであり、n=変数、I=主体、ALL=総関網 という常時干渉し合う社会要素の中で、現実の社会環境に潜む問題の発掘から解決に至るシナリオを生成しようというものです。今回は、特定の場所で生活する人々、それを建設する人々との協働を通して参加型の住宅展示場を通して「風景」へのアプローチを試みようとしています。 |
BS | こわかりにくいですね。もう少し具体的に説明してもらえますか? |
HT | はい。具体的には4へクタールという広大な敷地に仮設の住宅地を形成する、という空前のプランです。ハウスメーカーとの協同により、「モデルルーム」ではなくアート作品としての展示住宅を設置してします。また、プロジェクト終了後もワークショップを通して活動は継続され、対話データの収集/製作やニューメディア機器を利用した住宅や風景を思考するための新たな視点の供給なども行なわれます。 |
BS | なるほど。つまりアート作品として「中途の家」の様なものがあり、そのプロセスの中で住宅の要素を解体/現前させることによってある種のメッセージ性を打ち出そうということなのでしょうか? |
HT | 概ねそのようなものです。 |
BS | となると、大まかな構図として、「アート」を発端としたワークショップ→そのデータを「デザイン」化→最終的にはハウスメーカーの商品として社会に落とし込む、という図式のように思えますが、結果的に「アート」が商品のプロパガンダ利用に留まってしまう恐れは無いのでしょうか? |
HT | 意地悪ですね(笑)。たしかにそういったリスクがないとも言い切れませんが、あくまでもアートを介入させる目的はそのトリックを借りて参加者の無意識な反応を介入させながら「理想」の住宅地をデザインするというものです。 ただここでは、「アート」として作品制作する時と「建築デザイン」する時とは基本的に切り離して考えています。よく建築家が「芸術性=アート」をデザインに取り込むといった時に建築家のエゴが表現されて施主の意向とは異なるものになることがあります。私は建築デザイナーとしてこのエゴを施主に押し付けることのないよう「アート」はアート作品として発表し、「建築デザイン」に無理矢理盛込み施主が神隠しにあったような思いをさせないようにしたいと考えています。 |
BS | わかりました、今後の展開に期待します。それでは、次に鹿児島で進行中のプロジェクトに関してお話しして頂けますか? |
HT | 鹿児島の方はまだ計画段階ですが、「県民交流センター 生命・環展示施設」という仮称がついています。こちらの方はアーティストとしてではなく、アートディレクターとしての立場でやらせてもらっています。ここでは「生命・環境」について、その誕生・多様性・しくみ・進化・社会問題等のテーマ/ゾーンが設けられ、全体でひとつのストーリーが組み立てられていく構成になっています。 |
BS | 展示の特殊性は? |
HT | ここでの我々の試みは、「要求に応える=デザイン」として展示を捉えるのではなく、河口洋一郎などをはじめとするアーティストに依頼することによってクリエイティビティや参加型要素を従来の展示とは違った形で全面に押し出そうというものです。 |
BS | つまり所謂「博物学」的な展示はやめよう、ということですか? |
HT | そうです。博物館の展示おいて「参加型」「インタラクティブ」「エンターテイメント」性というものはかなり古くから行なわれている事ですが、やはり事実を事実として見せて行くという枠からはみ出る事はないわけです。その一方で、自然や歴史にロマンやドゥラマタルギーを盛り込もうとするからどうしてもお仕着せみたいな感じになってしまう。 |
BS | そこで「アート」の登場ということになるわけですね? |
HT | 石井さんの言い方だとなんか俗っぽい感じですが(笑)、まあ、そういったところです。我々は展示をデザイナーではなくアーティストに依頼する事によって、ただ展示側の要求に応えるのではなく、そこに種々のスキマや強度をもたせることによって生じる「感じる」「考える」といった要素を付加していこうとしています。 |
BS | イメージとしてはフーコーの考古学シリーズみたいなものですか? |
HT | うーん、それはどうでしょう。むしろその逆というか、探究の密度を緩くして行く事によって成り立っているところがあります。 |
BS | なるほど。たしかに、その方が博物館の展示としてはその方がずっと相応しいように思えますね。ICCでの展示や先日のロボットミーム展などの要素と被る部分もありそうですが、田中さんのプロジェクトは常設展示なので、そのインパクトが持続するものになってくれれば非常に貴重な手本になるのではないかと思います。 以上、二つのケースにつてお話を伺いましたが、ここで僕の方で勝手に整理のうえ、いくつか質問させてもらいます。 |
HT | どうぞ、どうぞ。 |
BS | まず、そもそも今回一番議題にしたかったのがアートや建築が -ここでは何がアートで何が建築とか、その境界がどこにあるかとかの議論はしません- 社会の中で占める位置を田中氏がどのように捉えているのか、という点です。また、ここで私自身が重要だと思うのは、「理想=イデア」としてどうあるべきかではなく、ニーズとしてどうあるべきかということです。「ニーズ」などというと謙っている様に感じる輩もいます、これを声高にいうことは消費サイドをセグメント化した上で正しい情報処理を行なう能力がない事を露呈しているだけであり、供給者として恥ずかしいことではないかと私は思っています。
少し言い過ぎましたが(笑)、話を戻します。田中さんのプロジェクトでは -イデーとのコラボレーションで行なった海の家(スプートニック)などは分かりやすい例だと思いますが- 絶えずアートを作品として閉じ込めるのではなく、その前段階や後の有効利用を含めて提供しているところに面白さと重要性を感じます。当然、その副作用として矛盾も出てくるわけですが、承知で突き進むところに私は好感を持つわけです。そこで聞きたくなってくるのは田中さんにとってアートとは隠喩やメッセージ性を放射する以上のものとして捉えているのか?あるいはあくまでも物理的にはナンセンスなものとして捉えているのか?という点です。 |
HT | 「物理的にナンセンス」とは随分な言い方ですね(笑)。今回のプロジェクトにおいてはアートが担っている役割が、そのメッセージ性にあると捉えています。nIALLプロジェクトでは建築家とアーティストとのコラボレーションが前提にあるので、アーティストとて問題提起し、建築家として問題解決するというシステムで提案していますが、普段flowの活動では、オーソドックスにアート作品を作っているのですよ。 |
BS | ただし、そこで終わらせて後は偶然に任せるのは勿体ない、ということですか? |
HT | その通りです。経済、デザイン、何でもいいですけど、他では表現出来ないメッセージがあるからこそ意味があるのに、それを閉じ込めてしまって後は風に任せるのではただのスタンドアローンな感情起伏装置です。ただし、一方でそこで生まれたものを社会に落とし込んで行く事を前提に始めると先ほど石井さんが言われた様に「矛盾も出てくる」わけになるのです。 |
BS | 想像するに、鹿児島ではアーティストが結果的にデザイナーとしての役割を担うはめになるとか? |
HT | その通りです。まだまだシステムとして機能するには試行錯誤が必要だと感じています。 |
BS | それは恐らくその通りだとは思いますが、「付加価値」なるものをキチンと還元する事によってアートの位置付けを確定し、またその付加価値を建築や空間デザインに落とし込んで行こうという姿勢は、我々の建築に対してのそれと共感を憶えます。 |
HT | そうですね。ブルースタジオの場合はデザインド・プロダクトとしての付加価値性や不動産価値に対する独自のセグメンテーションを通した市場への働きかけということですか? |
BS | まあ、そう言うと偉い事をやっている様ですが、要は安い・早い・甘いかつカッコいいで行こう、というだけです。 |
HT | 建築家やデベロッパーにはなぜそれが出来ないのでしょうか? |
BS | 別に出来ないわけではないと思います。ただ、マインドが違うところにあることは確かですね。我々の場合、原目標は「良いデザインを創る」ということではなく、「より売れてより利益があがる商品をつくる」ことと認識しています。ただ、そこで我々にとって最も競争力が持ちうる商品とは何か?と考えると「デザイン・コンシャス」「コンテキスト型」「バズ・アウト」などでやりましょう、ということになるわけです。プロダクトや高級リゾート開発の世界では当たり前のことですが、なぜか日本の建築/不動産ではポピュラーではありません。 |
HT | ヴィト・アコンチや土屋公雄などの方が見方によってやっていることが近いのかもしれませんね。 |
BS | そうだと思います。我々の活動がメインストリームになる必要は全く想定していませんが、-そもそも渋谷ハチ公前の巨大看板がテイ・トウワだったりする時代にメインもマイナーもないと思いますが- 明らかに抜け落ちているマーケットがあることは確かです。例えば私たちの立場からすると、「安藤忠雄と磯崎新はどっちが偉いか?」というのは全くのナンセンスです。安藤忠雄は「建築家」として勿論偉大ではありますが、その最大の価値は「安忠=集客力」だということです。安藤忠雄自身がかなり早い時期からそのことについては繰り返し公言しているのに、どうも建築界の大半は興味をもっていないように思う。その一方で興味を持っている者はゴミしかつくれない。 |
HT | それは結局今の「建築」が提供する付加価値が社会のニーズにあっていないということなのでしょうか? |
BS | 「そうです」というのはあまりにも乱暴だし文脈によっては間違いでさえありますが、そういう市場が多々あることはたしかだと思っているからこそ私たちは今の仕事をしていることになります。 |
HT | 先ほどのヴィト・アコンチや土屋公雄などはアーティストながらバンバン建築を建てて、しかもフィーは一般の建築家よりは格段に上です。このような現象を偏った立場から目を背いていたのでは、どんどん建築は社会にとって金食い虫の粗大ゴミになっていく恐れがあるのかもしれませんね。 |
BS | たしかにその通りだと思います。ただ、先ほど「建築家やデベロッパーには出来ないのか?」というお話がありましたが、建築家は建築家で田中さんのプロジェクトでいう「アーティスト」の役割を十分果たしている方達が大勢います。例えばアトリエ・ワンによる「建ち方」という問題設定などは非常に意味の有る行為なのですが、ああいった価値あるスタディがマーケットの中で活かされていない。結局は販売レベルでのリスクヘッジを、商品を最大公約数に落とし込むというユニクロや良品計画的発想でしか解決出来ない技術力の無さにつきるのです。今の時代、これだけ商品開発や情報産業が複雑・多岐・高度になっている中で、「コンテキスト」や「バズ」などビジネスの世界では常識であるセオリーが殆ど導入されていない、あるいは勘違いされているのが不動産業界の現状だと思います。 |
HT | そういえば、日本の美術館で黒字なのは数えるほどもないのですが、そのうちの一つが直島です。直島では地域一帯の観光産業を潤すだけの付加価値をアートがつくりだしているのですが、偶然なのか当然なのか、建築は安藤忠雄です。 |
BS | それは偶然ではないでしょうね。それでは幾らか途中ではありますが、時間も押していますので本日はここまでとさせてもらいます。どうもありがとうございました。 |
HT | 夏はぜひ帯広へおいでになって下さい。 |
BS | そうですね。あと、メールマガジンの方でも宣伝しておきます。 |
2002年5月7日 田中陽明氏 自宅にて
インタビュアー:石井 健(blue studio)
田中陽明
Haruaki Tanaka
アーティスト
武蔵野美術大学建築学科卒業後、大林組設計部勤務。
その後慶応大学大学院政策・メディア研究科にてメディアアートを専攻・同大学卒業。
現在flow -media ambience re-design- を主宰。
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