blue studioトップページ > Magazine > INTERVIEW > No.18 <アート、建築、街、その先を!> 和多利浩一 / koichi Watari
INTERVIEW No.18
和多利浩一 / koichi Watari
日本を代表する現代アート美術館である「ワタリウム美術館」。美術館が出来る以前の話から、建築、アート、街とトピックは広がる。
ブルースタジオ(以下BS) 和多利浩一(以下KW)
「マリオボッタと一緒にワタリウム美術館をつくった。」
左がワタリウムの前身『galerie watari』、右がON SUNDAYS
BS | 浩一さんが、ON SUNDAYSをOPENさせるまでのいきさつから教えて頂けますか? |
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KW | 実は、大学の入学祝いって言うのがNYへの往復航空チケットだったので、夏に2ヶ月間向こうに滞在していたんです。NYではホテルではなくてアパートを契約して映画館行ったり、美術館、本屋さんなんかに行く毎日でした。 |
BS | それまでアートのことは大嫌いだったっておっしゃってましたが、、、 |
KW | も う、大嫌い!大嫌いだったんだけど、、、MOMAやWHITENEY、本屋や、映画館に行って、「ああ、こういう美術のあり方もあるんだな」って感じるこ とができたんですよ。1980年でしたからNYはウォーホール全盛の時期で、これからキース(・ヘリング)なんかが出てこようとしていた頃です。70年代 のコンセプチュアルアートから80年代のニューペインティングのムーヴメントが一気に出てこようとしていて街そのものに勢いもあってムンムンしてました ね。そんな頃に東京の姉から国際電話かかってきて「店やろう!NYで何でもイイから買ってきて!」って言うんですよね。それで、とにかくいろんなものを買ってきたんです。これがON SUNDAYSのベースです。![]() ワタリウム美術館建設前の更地。三角の形状にマリオ・ボッタは強い関心を寄せた。 |
BS | そんなお姉さんの一言でできてしまうもんですか!!!??? |
KW | そう。はじめはここの道挟んで向い側に小さな店を手づくりで作ってたんです。それこそブルースタジオじゃないけれど、内装をつくるところから全てが始まってね。自分達で壁塗って、家具も全て作ったりデザインしたりしました。![]() 立ち上がるワタリウム美術館 |
BS | キース・ヘリングがオンサンデーズでペインティングしているビデオを見ましたが、確かそれは、今のワタリウム美術館とは道を挟んで反対側にあった小さな店で。。。 |
KW | それが、ワタリウム美術館ができる前のON SUNDAYSなんですよ。手づくりの。その頃は、私が大学1年で、姉が4年生、それ以外の仲間も全員大学生でしたから、月・火・水曜日だけに授業を集中 して入れてしまうようにして、木・金・土・日曜日だけの営業でした。実は僕らがON SUNDAYS始めるずっと以前から、母が「ギャルリーワタリ」っていうのをやっていたんですよ。いま「ワタリウム美術館」が建っている場所にあった非常 に素敵な木造の日本家屋。床の間なんかを利用した和風モダンなギャラリーをやっていたんです。家の半分は母のギャラリー、残りの半分は父のレストランで す。そのような母の仕事関係からON SUNDAYSには寺山修司さんや、横尾忠則さんなど。。。こういった方々がお客さんでいらしていたんです。逆にお客さんの方から「アレも入れて。コレも 輸入して。。。」ってアドバイスももらいながら、10年間やってきたんですよ、その手づくりの小さなお店で。それで、10年経った時に、、、モノっていう か、情報っていうか、、、その次に行きたくなってしまった。。。![]() |
BS | つまり、ON SUNDAYSでは、「メディア」を売ってたってことですね。![]() 竣工後の「Mario Botta展」。 三角形の建築が浮かび上がる。 |
KW | そう、ポストカードにしても、Tシャツにしても、本にしてもアートを落とし込んだメディアでしょう。でも、自分の中でリアルなものに触れていきたいと言う欲求が出てきたんです。今度はアートそのもの、メディアに落ちる前のナマものを扱いたくなったんですね。 |
BS | そういう流れから「ギャルリーワタリ」と「ON SUNDAYS」を合体したカタチで、ついに「ワタリウム美術館」が登場するわけですが、イタリア人建築家のMario Bottaに設計を依頼されるに至った経緯は? |
KW | そ んなのもう作品の写真を見て、母、姉、私、三人ですぐ決まりましたよ。「マリオ・ボッタ!」って。それで母がすぐイタリアに飛んで、本人に会って交渉に入 りました。この建築は施工が竹中工務店ですが、ボッタ事務所と竹中工務店の間に入って両者の通訳をやってたのがクライアントの我々だったんです。つまり、 ボッタからはじめの図面が来て、我々がそれにオーケーを出して竹中工務店に指示を出す。 |
BS | 竹中工務店からは「ここはどうなっているの?」といったような施工上の質疑なども上がって来ますよね。 |
KW | そう。そう行ったやり取りを全部処理してましたし、竹中から出てくる見積も我々の方で全部チェックして、素材も産地まで見に行きましたよ。 |
BS | クライアントというよりも、むしろ設計事務所ですね。 |
KW | まさにそう。 |
BS | ワタリウムは全般的に建築をテーマとすることが比較的多いように思うんですが、関係ありますか? |
KW | その通りですよね。それは、やはり「マリオ・ボッタと一緒にワタリウム美術館ををつくった」というところから来ているものは大きいと思いますよ。一応建築を図面からも見積からも追えるし、ひとつの建築ができるまでに必要なプロセスは一通り把握はしているつもりなんですよ。それで身近な存在なんですね。建築が。。。それからだんだんランドスケープの方に行ったり展開もしてますけれど。 |
「コミュニケーションのあり方を再構築しないとダメ!」
「イサム・ノグチ/ルイス・カーン展」のインスタレーション
BS | ワタリウム美術館全体を包んでいる「建築」というテーマが一つあるとすると、もう一つ「街」というキーワードもあるかなという気がしているのですが。。。どう思われますか?また、その「街」というテーマは、「水の波紋展」から来ているのでしょうか? |
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KW | 確かにそうだね。。。そして、それは「水の波紋」から来てる。white cubeの展示だけでよければまったく問題にならないのかも知れないけれど、「水の波紋」では屋外で作品を展示しようとしたでしょ。。。これには当然協力 者が必要なんですよ。土地や建物のオーナーだったり、お店の店長や店員さんだったり、そういった人達の協力がないとあれは出来ないです。それをやってみて はじめて「街のもうひとつの構造図」が見えてきて、「ああ、こういうふうにして街って成り立ってんだな」ってことに気付いたんですよ。つまり、街を構成する今まで見えなかったレイヤーが見えてきたわけです。。。朝の4時や5時に街をきれいに掃除している住民の人々のレイヤーです。![]() 「水の波紋展」:青山周辺の街中に現代美術作品を展示するという大規模・実験的展覧会。 48人の作家を招聘。総合監修はヤン・フート。 |
BS | 和多利さんは青山で育って、ずっ~と青山の人でこの街に深く関わってらっしゃいます。商店会やその他の組織でもリーダーシップ発揮されて来ました。いい街ってどうやったらつくることができるとだとお考えですか? |
KW | 一 言でいってしまうと「社会に機能する新たなシステム」。変わんなきゃいけないっていうのは、街や街づくりってことだけでなくて、社会の中のコミュニケー ションのあり方だと思うんですよ。個人と個人、会社と会社、個人と会社そういった関係でコミュニティーって成り立っているんだから、そのコミュニケーショ ンのあり方みたいなものを再構成しないとダメだと思います。第二次世界大戦が終わって50何年、この日本ではずーっとコミュニケーションのあり方は劣化し て、機能しなくなりつつあると感じます。これは世界中の状況かもしれませんけれどね。法律もそうだし、社会のメンタリティーもそうだし。。。それを一度「ガラガラポン!!」しないとほんとに新しい街は出来ないと僕は思うんですよ。 |
BS | 「ガラガラポン!!」っですか!?昔の街を知っている人のコミュニティーでは「昔は良かったね。」って話になることは多いと思うんですよ。そんな街の人達の中で、「ガラガラポン!!」と言える和多利さんのような人がいるということはとても貴重なんじゃないか、そう思います。 |
KW | 美術でもどの世界でも同じなんだけどさ、人間って2種類に分かれるんですよ。「今のままでいい」っていう人と、「よりいいものをつくっていきたい」っていう人と。よ りいいものをつくるためには新しい挑戦をしなくちゃならないんです。「とにかくなんかやってみよう。今よりはよくなるかも知れない。」っていう考え方は絶 対に必要だと思いますよ。でも勘違いしないで欲しいのですが、私は「若い世代が必要だ」といっているわけでないです。チャレンジしていくメンタリティを 言っているつもりなんです。 |
「美味しいと感じたものしか出しちゃいけないのと同じです。美術館も。」
KW | いまの東京の開発のされ方って六本木に象徴されるように囲い込んだ、エリアホールのやり方だと思うんですよ。 |
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BS | 「囲い込んだ」という表現は、イメージしやすいですね。「この中だけはこうしよう」っていう。。。 |
KW | そう。だけど、その中で一番面白いと思うのは、その周りっていうか、エッジかなと思うんですよ。そこの囲いからはみだした部分、はじき出された部分みたいなところをデザインする人がいないといけないと思っているんです。バリバリにデザ インするのではなくゆるく導いていくようなデザインとでも言いますか。そういう大型ビル開発がボンボンボンボン出来上がった後に、誰かがこの面白い仕事をしなきゃなんない!そ ういった意味でもブルースタジオは面白いことをやってるなと思うし、これからこういう作業が異なるベクトルから自然発生していくと思います。これは、文化 も美術も同じだと思うんだけど、ハイ・アートがガーンって出てくると、ロー・アートやサブカルチャーが反発として出てくるでしょ。それが僕には面白いんで すよ。街って、全部が全部、計画で出来てしまったらつまらないと思うんですよ。ある意味で「よごれ」ってなきゃだめだし、、、![]() 現在開催中の「伊東忠太展」 |
BS | 「よごれ」? |
KW | そう「よごれ」。雨が降って全ての水が同じ排水管に流れていくのではなくて、川に流れたり、水が溜まったりすること、、、水がたまって、「よごれ」とでも言 得るような小世界ができること、、、は自然なことだと思います。こういうものを残した上でどう街をつくるかってことを考えていかないといけないだろうと思 いますよ。大型案件は、それはそれでやっていただいて、でも皆が「でも、それだけじゃないんじゃない?!」って感じはじめた時に、そうでないものがホント に求められますよ。ただ、大型案件もそうでないものも両方必要なんです。両輪。アートも同じ、ハイアートとサブカルチャー。これらは両輪です。 |
BS | ワタリさんが本当にやりたいアートはどんなものなんでしょうか? |
KW | ホワイトキューブの中で、絵がキッチリ掛かっているだとか、完璧なインスタレーションがされているみたいな完成度も大好きだけど、一方で荒々しく都市の中に作品が落ちていく、機能していく瞬間も大好きで、両方ないと私はダメなんですよ。ホ ワイトキューブもやりたいし、街に出て行くこともやっぱりやりたい。ただ、一般に「街に作品を出す」って普通のパブリックアートのことを指すことが多いけ れど、私が考えているのはちょっと違います。ワタリウムの活動をみてもらえばわかりますけれども。それから。。。最近特に考えるのは、「アート」でもっと 社会を変えていったり、新しいシステムを提案したり、そういうことですね。「アート」ってそもそも新しい概念でしょ。「美の概念」。今までみんなが気付か なかったことに「美」を感じさせる力を持っている。つまり、、、「アート」は新しいシステムを提案していくこと。法律が変わる。人の意識が変わる。いま は、作品のカタチよりも、こういうことの方に興味があります。 |
BS | そういうことは、なかなか一人の力では難しくないでしょうか?もっと組織的にすすめていくとか? |
KW | いや。でも、言い出すのはいつもひとりだから。そこから始まるんですよ。![]() 現在開催中の「伊東忠太展」 |
BS | 次回の展示は伊藤存さんですけれど。。。どういう経緯で招聘するに至るんでしょうか? |
KW | いつも思うのですが、東京中心オンリーの文化やサブカルチャーにいつも疑問を感じるんです。東京じゃないエリアから何か面白いコンテンツを持ってくるべき じゃないか、、、って思ったんで、それをやったんですよ。存なんかは、関西で生まれた文化だなーと強く思いますし、それを東京の観客に見て欲しい。特に今 回の展覧会では、村上さん、奈良さんよりももう少し下の世代で、かつ東京でない文化の中でアートが成立する新しいカタチみたいなものを見せたいんです。 |
BS | お話しを伺っていて、原宿・青山・神宮前が交錯する非常に刺激的な場所に居ながら、でも絶対に外からの刺激を渇望しているのが「和多利浩一」っていう人間なんじゃないかと感じたんですが。。。 |
KW | そこには、決して戦略はないんだけれど、おいしいと感じるものしか出しちゃいけないのと同じで、自分自身がホントに驚いたことややりたいことを見せていかないと、美術館も伝えられないんですよ。もちろん味付けや翻訳の作業は必要な時はあります。けど、この美術館がNYにあったとしても、ロンドンにあったとしても成立するようなそういうレベルにまでは常に到達していなくてはいけない、そう感じていますね。 |
「子育てや、歳を取っていくこともアートにしていきたい。」
次回展覧会「伊藤存 きんじょのはて展」
BS | 和多利さんって、ワタリウム美術館のすぐお近くにお住まいでらしいですけれど、仕事とプライベートとONとOFFは区別されていますか? |
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KW | もちろん。・・・でも、比較的はっきりはしてない・・・というか、裏表をつくらないようにしよう。という風に最近特に考えるようになってきましたね。ON/OFFの切り替えならいいんですが、それが本音と建て前みたいになってきたら嘘ついているみたいでイヤでしょ。子育ても、歳を取っていくことや介護などもアートにしていきたいと思っています。そういう意味では生活と仕事とは連続してますね。 |
BS | でも、お忙しいからOFFの時間はほとんど無いんじゃないですか? |
KW | それがね、最近はかなり時間を取るようにしてて、いままでの仕事量を100%だったとすると、今は60%くらいでそれを済ませるようにしてますよ。午前中は 本を読む時間、それから夜中1時に家に帰ってからは必ず1本は映画を見るように務めています。これで、4日に1冊の本は読んで、週に7本の映画は見てる。 今は自分を見つめ直す時期かな、、、とそう思ってるんですよ。実は。![]() 子供達や教育をテーマとし、美術を超えた発言をしている。 |
BS | 最後に、和多利さんのここ最近のサプライズ・トピックを教えて下さい。 |
KW | やっぱり、さっきの話じゃないですけれど日本にもいいものこんなにあるんだっていう再発見ですね。映画もそう、本もそう。あとは、ブルースタジオがやっているようなニッチな再開発は気になるし、がんばって欲しいと思っている。時代が変わるそのちょっと手前の時期に来てると思うし、ヒヂヤくん達のジェネレーションがまったく新しいカタチを出していかないと絶対よくなりっこないよ。ダメだね。全然違うカタチで出てきて欲しいなと心から思っています。 |
「もう一度、水の波紋展をする可能性は?」という問いに対しては「時代が求めるんだったらできる。ただし、同じ内容でや るつもりはない。」と和多利氏。その時までにどのような街をつくることが出来るか、そしてどのようなコミュニケーションのあり方を獲得できるか、、、「水 の波紋展2」はその成果のバロメーターとなるかも知れない。
2003年7月5日 ON SUNDAYSにて
インタビュアー:泥谷英明(blue studio)
和多利浩一
koichi Watari
<和多利 浩一>
ワ タリウム美術館キュレーター。
渋谷区神宮前三丁目出身。
1980年オンサンデーズ設立。
美術書籍の出版社イッシプレス設立後、
1990年ワタリウム美術館 開館。
ドイツのドクメンタ9で初の日本人スタッフ、
第1回南アフリカ・ヨハネスブルグ・ビエンナーレ日本代表コミッショナーなど国内外で活動。
共著書に 「チャイナアート」他。
地域ボランティアとして、青山キラー通り商店会会長、原宿地区商店会連合会会長、
原宿神宮前まちづくり協議会代表幹事なども務め、 街づくりに参加してきた。
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