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INTERVIEW No.24


イメージをカタチに

小澤洋一郎 / Ozawa youichiro

森美術館で現在開催中の「六本木クロッシング」と「クサマトリックス」。その舞台裏で展示品の設置や装置の造作、作家とのやり取りなど、現場一切の指揮を とるのが小澤氏。「六本木クロッシング」参加アーティストでもある花代をして「今回最高のアーティスト」と言わせたその男の素顔に迫った。

ブルースタジオ(以下BS) 小澤洋一郎(以下YO)

「すぐにでも仕事をやりたかった」

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「六本木クロッシング」を準備中のスタッフの方々

BS 六本木の現場はお疲れ様でした。少しだけ覗かせていただきましたが、あんなに人がいるとは思ってもなかったので、とにかくビックリしました。
YO そうですね、あの時だけでも全部で100人くらいはいたんじゃないですか。
BS いやぁ、ひょっとするともっといたんじゃないですか?・・・ところで小澤さん、美術館で小澤さんのようなお仕事をするには普通に大工さんの仕事やっていたんじゃ出来ないと思うんですけれど・・・
YO うちのおやじは宮大工を目指していたんで、僕も大工を意識していました。中学卒業した時に谷中町内の親方のところに行って「大工になりたいから働か せて欲しい」って頼んだら入れてくれることになったんですけど、その後で親方が僕のおふくろのところにやって来て、「やっぱり高校くらい行かせた方がいい んじゃないか」ってことになっちゃって、僕自身はもうすぐにでも仕事をやりたかったんだけれど、結局かなわずに学校に行きました。
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「クサマトリックス」を準備中のスペースで
BS ということは、高校を卒業されてから直ぐに大工さんの道に入ったんですか?
YO いいえ。高校では建築の勉強をしましたけれど、その後にグラフィックデザインの学校にも行きました。・・・ところが、学校行きながらも、僕はずっと大工になりたかったんですよ。
BS その後、美術館に出入りされる要になったわけですが、、、非常に特殊な職業でらっしゃいますよね。小澤さんがその世界に入るキッカケはなんだったでしょうか?
YO 例えば、西武美術館の展示のための美術梱包、施工の現場があったんですよ。ちょうど電動ドライバー(通称「電ドラ」)が世の中に出回り始めた頃 で・・・ガガガッて、すごく早くて・・・あれはすっごい便利なんですよね。みんなその電ドラを使ってましたけれど、僕はケツのポケットに電動でなくて手で 動かすドライバーを忍ばせて出番に備えていたんですよ。もちろん、外国から来たアーティストやキュレーターはそういう電ドラが嫌いなんですよ。作品が納め られている木のクレートを開けるのに、「ガガガッ」ではダメだし、「美術品はそういうものではないだろう」ってことを僕は分かってましたから、手でドライ バーを使って「こうやって開けるんですよね。」ってやってみせたんです。それからでしょうね。「次の展示でも入ってくれ」って、少しずつ言ってもらうよう になったのは。・・・とにかく、こういう現場の中にどんどん入っていきたかったんですよ・・・どうしても。
BS 1本のドライバー、、、今のお仕事につくために、そんなエピソードがあったんですね。
YO 念願かなって美術館の中に入れてもらい展示作業を任されるようになってくると、今度は「作家のことを知り、そして作品のことを知りたい」と強く思う ようになりました、、作家と話し合うことを重要だと考えるようになってきたんですよ。

ケンカもするけど最後はやってあげます」

YO 建築は様々な法規の制限を受けるじゃないですか。美術館の展示もそうで、特に、消防法の制限を強く受けます。その他に、例えば森美術館では1棟の建物全て が美術館ではなくて、他のオフィスフロアと共存していますよね。そういうことや、52階・53階だということも厳しい条件になるんですよ。でも、本来美術 というのは、作品のまま展示してあげたいとは思うんですけれどね、、、いろんな制限があって難しいのも事実です。
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「六本木クロッシング」を準備中の作家とスタッフの方々
BS 作家がやりたいことがそういう法令上の制限で出来ないとなると、現場はスタックしちゃいますよね。
YO そう。例えばよくあるのが、「この箱の中は暗くないといやだ!」とかね。この要求は、消防法の絡みがあってとっても難しいんですよ。だから、はじめ はケンカになります。「それはできません」って・・・だってそう言うしかないですからね。でも、作家の要求に「なるべく近づけたい」って僕はいつも思って いるので、最終的にはまた違うカタチで暗い状況をつくってあげるんです。最初はケンカするけど、でも最終的にはやるんです。なんとかね、、、みんなが喜ぶ ところにもっていくのが仕事です。
BS さすがですね。プロです。
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「六本木クロッシング」の準備で会田誠さんの作品を扱う専門業者の方々
YO みんなに「ありがとうございます。」って言われるものをつくるのが私の使命だと思っています。
BS 六本木ヒルズ「森美術館」で準備中だった花代さん(参加者の作家の1人)が言ってましたよ。「今回はたくさんのアーティストが出るけど、この人が最高のアーティストよ」って。
YO とにかく、、、今回の現場は57組だっけ?とにかくものすごい数の作家をまとめるのは大変だったんですよ。作家に対して「いい加減にしなさいよ」っ て言うこともあるんですけど、でも、絶対逃げないし、絶対いいものをつくります。
BS 小澤さんを指名する作家もいらっしゃると聞きましたが・・・
YO 今は本当に幸せだと思います、指名を受けるようになって、、、あと、指名を受けるような後輩が出てくれば申し分ないですね。
BS ところで、現場に入っていた施工業者さん、大工さん、彼らはみんなイイ顔してましたね。とっても現場を楽しんでいるようでした。
YO いやぁ、仕事は楽しくやらないとダメでしょ!僕のコンセプトでもあるんですが、本当に「仕事は楽しくやらないとダメ!」です。それは棟梁の役目で す。楽しくやらないといい仕事が終わらないし、楽しくない現場は作家さんにも失礼に当たりますね。だから、気合いを入れるんですよ。「よっっっっっし、 ファイト!」とかね「ぃぃぃくぞぉ、ぉおい!」とかね。かけ声も大事。みんなが、しゅんと落ち込んじゃってるようじゃ、いい仕事はできない。
BS この仕事はコミュニケーションですよね。小澤さんの現場を見ていて、小澤さんはコミュニケーションの人だなって思いましたね。作家、美術館、大工さん、学芸員、、、いろんな立場の当事者がいる現場ですから。
YO うん、そうです。みんな、文句があったらこっちに集まってくる(笑)。だけど、やっぱり大工の棟梁でないとダメなんですよ。

作家たちのこと

BS このお仕事、美術館で作品のインストールするというお仕事をするようになってから何年くらい経ちますか。

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YO 30年は経ってますね。
BS その間にいろんなアーティストとお仕事をされて来たと思いますが。
YO そうですね。国内だけでなく、ヨーロッパでもやってましたから・・・
BS 今までで特に印象に残ったアーティストはどなたでしょうか。
YO ん~・・・「やってきて良かった」っていうのは、言葉もよく分からなかったけれど、ヨーゼフ・ボイス、・・・それからルイーズ・ニーベルソン、、、彼女は素晴らしいアーティストでしたね。楽しかった。

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BS 今までのアーティストと比べて、近年のアーティストは何か変わって来たところや違いがありますか?お近くで見ていて気付くこともありませんか?
YO 変わって来たと言うよりも、最近の作家さんに多いのは、コンセプトだけをつくって、発注をして他人につくってもらうっていう、、、「発注芸術」。作家というのは、やっぱり自分でつくらなくちゃ。
BS 「発注芸術」って、具体的にどういうことですか?
YO これは、僕たちが昔使っていた言葉だけど。。。つまり、他人に依存し過ぎているってことですよね。例えば、映像をつくる作家さんがいるとするじゃな いですか。彼は普段使っている並みの機材のことなら分かるけど、美術館では「もっといい機材が使えるらしいぞ」という期待だけで、それをどうつないだらい いかすら分からない。「この機材があるなら、こういう作品つくって、こうつないで、、、」こう言えるところまでやらないとダメだし、僕らのつなぎ方や施工 に対して文句を言って来るくらいじゃないといけないんじゃないですかね?見せたいものがあるなら機械の勉強もしなくちゃ作家じゃないと僕は思っちゃうんで すね。・・・だからそろそろ、もう、引退の時期かな?
BS なんで?
YO 作家の方は新しい人たちも出てきているんだから、やっぱりつくる方も次の世代の人たちが彼らを理解していってあげないといけないんじゃないかと・・・

仕事をやるための体制

BS このギャラリー(通称「HIGURE」)は、リノベーションしてつくられたと聞いているのですが、もともとどういう用途でつくられた建物だったんでしょうか?
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YO われわれの会社、東京スタデオの発祥の地です。おやじが駒込にビルを建てて本社を移してから、この鉄骨の建物は木工所として使っていたんですよ。あ るきっかけがあって、「この建物は外部に解放しようかな」と思いまして、これをリノベーションしてギャラリーをつくったんですよ。リノベーションするにあ たって、ここは会社からは切り離した存在にしようと考えたので、会社とは関係のないいろんな人が集まって来ます。作家も良く集まりますし、学芸員も来ま す。若い人が集まっていろんな話をしていますよね。ギャラリーとしても解放していて、いろんな展示をやって来ました。
BS そうですね、ここには本当に沢山の人が集まって来ていますね。いろんな人に出会えるし、みんないろんな意見交換をしてますね。
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「HIGURE」は木工所をリノベーションしたギャラリースペース
(撮影時は準備中)
YO そうですね。会社とはちょっと切り離して考えているから、それが出来ているということは言えるかもしれません。本当の現代アートは儲からないという 現実がありますし、その現実を踏まえて、会社の中に現代美術の部門(Contemporary Art Studio = CAS)を持つに当たってタスクフォース(特殊部隊)の手法をとったんですよ。1課、2課、3課、CASって具合です。フリーの人たちに上手く参加しても らうようなシステムで、一緒に仕事をする作家が変われば集まってくるスタッフも大きく変わります。
BS 社員はいらっしゃらないんですか?
YO もちろんいます。プロフェッショナルとして必要なクオリティーがありますから。でもそのプロジェクトに興味がある人たちがプロジェクトごとに外部から集まったほうが、よりいい仕事ができるという点もあります。
BS 現場は一部しか拝見していませんが、小澤さんのまわりでは仕事を本当に楽しんでいる人が沢山いるんだということが、良く分かりました。

「これから先はどんなお仕事を?」という問いに対しては「今の生き方を変えるつもりはなくて、これからも作家の黒子とし て頑張っていきたいと思います。ただ、何人かの後輩が良いところまで来ていますから、応援をしたいと思います。」と小澤氏。ここでもやはり、まわりへの配慮に篤い人でした。

2004年2月3日 六本木ヒルズ森美術館、2月12日 HIGURE 17-15 CASにて
インタビュアー:泥谷英明(blue studio)
撮影:武井良介

小澤洋一郎

Ozawa youichiro

<小澤洋一郎>
1949年 生まれ
1967年 (株)東京スタデオ入社
1988年 ヨーロッパの3美術館で自主研修を経験
様々なアーティストとの作業を経て現在に至る。





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