炬燵の上に並べた古い写真たちを眺めながら、懐かしそうにそう語るのは、システム開発会社の顧問を務めている石川裕道さん。『わの家 千峰』のオーナーだ。「両親の他界から数年たち、そろそろこの家を何とかしなければと、とりあえずハウスメーカーに相談しました。結果は、アパートへの建て替えという想定内のものでした(笑)。私には、なるべく今のままの形でこの家を残しておきたい気持ちがあった。それには、シェアハウスにするしか手はないだろう、と思っていました」
現在の『わの家 千峰』は、玄関を入ると畳の2畳間があり、その先に共用部である広間、広間の奥に台所と風呂、広間から縁側を挟んで広がる濡れ縁と中庭を囲むように、5室の貸し部屋が並ぶ間取り。シャワーや洗面、トイレを新たに設置した以外、間取りはもともとの形からほとんど変わっていないという。たしかに、細かく部屋が区切られた古い家の造りを活かすには、シェアハウスという選択が最も適していたのかもしれない。
「海外に留学していた娘が、あちらでシェアアパートメントに住んでいたんです。日本でもここ数年でシェアハウスが注目されるようになってきていました。とはいえ、こんなオーダーに食いついてくれるのは、ブルースタジオぐらいだろうと思っていました(笑)」
ブルースタジオは、ネットでリサーチをする中で知った。古い木造のリノベーションやシェアハウスづくりの実績を見て、「相談するならここしかない」と思ったという。「ブルースタジオの担当者の方も、“できるかぎりこのままで残したいですね”と仰ってくださって。間取りだけでなく、古いタイル床の浴室や、檜の浴槽、建具も昔のまま。私が幼い頃に描いた、壁の落書きまでそのままなんですよ(笑)」
ちなみに「千峰」という名は、石川さんのお母様の雅号。琴、三味線、小唄、お茶、日本画、日本人形づくり、染物、着物、などなど…さまざまな芸事を嗜んでいたというお母様。家の中には、そんな“千峰さん”の作品があらゆる形で残されていた。
「冬はどてらを着て、火鉢に火を入れて。夏は庭に水を撒いて、縁側で涼風に当たって。季節とともにあった古き良き昭和の暮らしは、今となっては簡単には味わえないものです。そうした時間や感覚を、若者に味わってもらえる場所にできればと思っていました」
現在の入居者は、古民家の研究をしている建築デザイナーや美大の講師、演劇活動を行うアーティストなど20代〜30代の男女5人で、一番人気だったのは畳の個室だという。このシェアハウスのコンセプトに共感した人たちが集まっていることが伺える。
「完成時に行ったお披露目会の際には、濡れ縁でお茶会を催しました。入居希望の方だけでなく、生前の両親を知るご近所さんもいらっしゃって、昔と変わらぬこの家の姿を懐かしんでくれました。近隣の風景がどんどん様変わりしていく中、この家が生き続けていくことは、地域にとっても意味があることなんだなと感じましたね」そんな風にリノベーションの経緯を説明しながら、勝手知った様子でシェアハウス内の共用部を案内してくれる石川さんは、まるで自身も未だこの家に暮らしているかのよう。
「耐震補強も、耐火構造の壁の新設もして、建物としての性能は大幅に一新したのに、自分が住んでいた当時とほとんど印象が変わりないんです。管理のために月1回ほど訪れているのですが、我が家然と縁側でビールを飲んだりしています(笑)。ただのアパートに建て替えていたら、こんな気持ちでオーナー業を務めることはできなかったと思いますね」
築85年にして、新たな生き方を歩むことになった昭和の木造平屋建て。石川さんは、いずれはこの家を“千峰さん”の孫である娘さんに引き継ぎたいと話す。
「以前から娘はこの家をとても気に入っていて、両親も“いつかは孫に”と話していたんです。私にとっても、この家は今でも実家。できるだけ長く使っていきたいですね」
“古き良き昭和の暮らし”いう目線を与えることで、古さも思い出も物件の個性に変えてしまう。リノベーションとはただ建物を再生することではなく、価値観の刷新でもあることを教えてくれる事例だろう。
