最近、重箱を買いました。
重箱はお正月くらいしか使わないイメージがあり、管理が大変そうとずっと買わずにいたのですが、
レンジ対応可能・割れにくく管理も楽な重箱を発見。
蓋はお皿としても使えるし、カラー展開も色々あるし、洗いやすいし、この出会いは運命と思い2つ購入してみました。
(ARASというブランドの、正式名称は「深鉢ロッカク」というお皿です。
他にも色々と展開しています。ほしい... https://aras-jp.com)
しばらくは盛り付け皿として使っていたのですが、
先日「保存容器としても使えるのでは?」と思い立ち、煮物を入れてみたらなんともいい感じになりました。
味の染みた料理をそのまま食卓に出せるため洗い物が減ることはもちろん、
保管時にスタッキングできるので冷蔵庫でも場所をとりません。
普段汁気の多いメニューを盛る鉢形の皿だと中央が深く縁が浅くなり
盛り付けのバランスが難しく感じていたのですが、底が平らなのでその心配もありません。
しかもある程度高さが出るため、平皿のメニューと高低差が出て食卓としてのバランスも取りやすくなりました。
日常の重箱(「深鉢ロッカク」皿)、すばらしい!
これはぜひともスタッフブログに書きたい...!
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そう思ってこのブログを書き始めたのですが、
ここまで読み返してみて、タッパーとあまり特徴が変わらないことに気づきました。
では違いは何か。
色々ありますが、蓋を開けて初めて中身がわかる、あの嬉しい驚き(の顔がみえること)のように思います。
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最近知った曲に、こんな歌詞がありました。
"あなたと暮していきたい <生活>という うすのろがいなければ"
(情けない週末/佐野元春)
最初に思ったのは「暮し」ていきたいのに、「生活」といううすのろ、って矛盾していない?ということです。
でもきっと、「あなたと暮して」いる時間と、「<生活>」の時間は全然違うのでしょう。
この関係は、「重箱」と「タッパー」の関係と似ているような気がします。
タッパーが透明なのは、コストの面もあるかもしれませんが、分かりやすくするためだったと想像します。
自分の生活を便利にするため、そして他者との生活をスムーズにするため、優しさから開発されたはずです。
自分がタッパーを初めて買ったのは、働き始めた頃、当時の同居人とお弁当に詰めるおかずをシェアするためでした。
彼女も自分も実家を出たばかりで、110円で2~3個買えるし、中身も見えたら食べ忘れることはきっとないねとタッパーを買った、
<生活>を頑張っていたあの頃から随分時間が経ったのだとしみじみ感じます。
あの日々もけして「うすのろ」ではなかったけれども、
今度彼女に会う時には、重箱で料理を持参して、生活の思い出や、いまの暮しのことを話せたらいいなと思います。