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だって「女」だから

さかぐち

鹿児島県出身。ラジオと映画とジャスミンに囲まれて生活中。時の流れに身をまかせ、いつの日か向田邦子になるのが夢です。


私は生まれも育ちも鹿児島ですが、
地元では、男女に対して偏った考えが未だに拭えない、と感じています。
そして、それは鹿児島以外もあまり変わらない、という気がしています。

私は実の祖父母(特に祖母)から、よくこんなことを言われてきました。

祖父母の家で、父や兄に向かって自分で食べた後の皿くらい自分で片付けてよ」と言い放った私に対して、
「家事は女の仕事。男は台所に入るもんではない」と言われたり。

実家に帰り、祖母と会うたびに「もうそろそろ結婚して子供産まなきゃね」と笑顔で微笑まれたり。

そんな昔気質な考え方なのにも関わらず、
「女」である私が東京の大学に進学することについて、
祖父母の立場から否定しなかったことについては奇跡だったなと思うと同時に、
当たり前だとは思っちゃいけないというふうに思っています。

私の実体験を事実の一部として話せるとするならば、
こんなことを当たり前に考えている人がいることは、紛れもない事実。

そんなことを悶々と、ダラダラと考えている中で、
表紙先行で「犬のかたちをしているもの」という小説を読みました。

作者は、2022年に芥川賞を獲られた高瀬隼子さん。

高瀬さんの作品の中でも特に、「いい子のあくび」という作品については、読み終えた後、
共感を超えて、「私が言葉にできなかったモヤモヤした気持ちを言語化してくれた!」と
嬉しく、すっきりした気持ちなりました。

同世代の女性として生きる、表沙汰には言えないけど、
モヤモヤと抱えている本音がリアルに書かれていて、私にとっては爽快、痛快?でもあります。

駅や街中で人にぶつかられることがあると話した時、大地はじられないという顔をして、実際に疑っているような声色で「おれ、ぶつかられたことないよ」と言った。 何言っているんだろうこの人、と思った。 大地は中学から大学卒業までバレーボールをしていたという。百八十センチ以上ある身長、腕にも足にも筋肉がそれと見て分かるようについている体。 そんなものに誰もぶつかりに行くわけがない。と、そこまで考えて、なんだわたしやっぱりこいつならいいやって選別されてぶつかられてたんだな、と今更のように気付いたのだった。 分かっていたけど、分かっていないことにしていたような。 それで、わたしもよけるのを止めにした。よけない人のぶんをよけないことにした。
高瀬隼子「いい子のあくび」(集英社)より引用

生を受けた瞬間から、何人にも拭えされない「性」とそれに関連する無意識の差別や偏見。

女だから、料理ができて当たり前だし、

女だから、家電関係には強くないし、

女だから、向こうから来た2人組から道を譲られないし、

この小説の中の主人公のように、
普通に生きて、普通に過ごしてても
日常の「差別意識」に触れる瞬間は必ずあるよなぁと改めて実感...

私自身、そこに苛立つことはあるものの、
それでも、女だからちょっとだけその恩恵を受けることもあることはあるので、
所詮バランスが取れていればそれで良し、と勝手に自己完結。

自己体験として「女として生きていること」に対して向けられる差別に思うところがあるのですが、
きっとその差別は男性に対しても同じことが言えるのだろうなぁ、と。

大事なことは「自分は差別なんてしない!」と決めつけるのではなく、
まずは「身近なところに差別があること」
「自分もその差別をつくるひとりであること」
を認め自覚することが大事なのだと思います。

I am not complete

「僕は未完成なんだ」
私の大好きな映画「シザーハンズ」に出てくる、
ジョニーデップ扮するエドワードの言葉です。

ある事情から両手がハサミのエドワード。

周囲の人々と仲良く楽しく暮らしていきたいと思いながらも
自分の生まれ持ったハサミの手で愛する人たちを傷つけてしまうのではないか・・・
そんな葛藤を抱えるエドワード。

「自分も悪意なく(不意に)人を傷つけてしまうのではないか・・・」
そんなエドの他者への姿勢と、
自分たちの無意識に人を傷つけてしまう私たちの日常が
とても対照的に感じられました。

私たちも、エドのような心持ちで日々過ごしていけたら...

そんなことに「はっ」と気づいた、とある深夜のひと時なのでした。

ありがとう、高瀬さん!
ありがとう、エドワード!!





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