Magazine


ごはんの下のおぼん

さかぐち

鹿児島県出身。ラジオと映画とジャスミンに囲まれて生活中。時の流れに身をまかせ、いつの日か向田邦子になるのが夢です。


2024年になりました。

実家は鹿児島にあり、毎年帰省してのんびりお正月を過ごします。

父に、母に、兄に、もう1人の兄に、姪っ子に
いつもの顔ぶれですが、今年はいつもと違う年越しでした。

鹿児島で子供を待ち受けていたはずの父と母が、逆に東京まではるばる来たのです。

これはさかぐち家にとってアウェーなのか、ホームなのか?
よく分からない状況に当初は戸惑いの気持ちがありながらも、
ちょっとだけスパイスの効いた時間を過ごすことができて私としてはとてもたのしく、
充足した数日間でした。それは私以外の皆も同じようでした。

その数日間を、2番目の兄宅で過ごさせてもらいました。
馴染みの家族ばかりの空間といえど、そこは自分の家ではないわけで...それを如実に示していたのが、おぼん。
否、お盆、です。

お盆の上にごはんがある、というよりは、私からすると、ごはんの下にお盆がある、という感じです。

お盆を敷いて囲む食卓!なんてこった!すごく家庭的というか、
日本的というか、ちゃんとしてるというか、きっちりしてるというか...
正直いうと、さかぐち家には馴染みがない!

うちには、突然工事現場からシロアリをペットだよと言って麦茶入れるようなポットに入れて持ち帰ってくる父親
その時のブログは▶︎こちら

はたまた、年季の入った冷蔵庫に何も言わずに老師の言葉が書かれた貼り紙をする母親
その時のブログは
▶︎こちら

だけど、そんなさかぐち家にも、お盆も、ランチョンマットも、プレースマットも、馴染みはありません。

そんなさかぐち家しかいない年越しなのに、なぜ、突如としてお盆が食卓に!
(それは、きっと、2番目の兄が結婚し、家庭を持ったことによるものだと思います)

大したことではないとわかってはいるのですが、
自分にとってはこれまでの人生、これからの人生を振り返るきっかけになったのです。

これまで、お盆を敷くような食事をしてこなかった私の人生、
そして、これからの人生、私はランチョンマットを敷くような食卓を囲むことはあるのだろうか...

そんなことをぐるぐると考えていました。
つくづく、家族とか、家庭環境とかって不思議だなぁと思います。


そういえば、唐突ですが、「価値観」という言葉、すこし大袈裟すぎるなと感じたのは、ついこの間のことです。

自分の中で揺るがない価値観って、果たしてどれだけいるのだろう...
わたしもそんな確固たる価値観があるとは思えないのです。それがあったらいかに楽だろうと思います。
人生の指針となる考え方、生きる上での自分の正義みたいなもの...

ですが、改めて、というか、初めて「価値観」と調べてみたら、こう書いてありました。
sg240113_02.jpg

つまりは、簡単にいうと、ものごとを判断する時の判断基準ということみたいです。

そう考えると、ユニコーンみたいに遠い存在だった「価値観」という言葉が、
蕎麦屋さんにあるたぬきの置き物くらいに親しみある存在に感じられてきました。

お盆を、ランチョンマットを、敷いてこなかった価値観...

ふと思い出したのですが、小学生のころ、何度かランチョンマットのある食卓がありました。
大抵それは、母親がキッチンの大掃除をした後だった気がします。
それでも、お察しの通り、その期間は続かず、ノーランチョンマットを選択するさかぐち家でした。





Rent / Sale

Magazine

Portfolio