福岡オフィスのいでちゃんです。
鹿児島県薩摩半島より西へ沖合約40kmの東シナ海に浮かぶ
「甑島(こしきじま)」に行ってきました。
海面にせりだす崖地から急峻な山並みへと連なる陸地のすきま、
わずかな平野に集落が密集する島になります。
集落は南国の島特有の風をいなす丸石垣と鼻先の低い寄棟平家、
石垣に根を張るアコウの木が独特の景観を形成しています。
そんな甑島で活躍されている「東シナ海の小さな島ブランド株式会社」の
ヤマシタケンタさんにアテンドくださり、
まちやどを中心とした島での取り組みを見学しました。
ヤマシタケンタさんの取り組みについては日本まちやど協会
「日常 2」の巻頭に特集されています。
まだご覧になられていない方はぜひご一読ください。
さて、建築であれば構造材、仕上材、外構その他諸々、
さまざまな判断を強いられながら組み立ていきます。
もちろん、他の職種業種もそれぞれの判断の積み重ねで成り立っていますね。
その「判断」とは、どのようなものだったのでしょうか。
「もっとこういうものがあればいいのに」と無い物ねだりをしながら、
溢れんばかりのバリエーションの中から目が回りそうになりながら、
自分の中で最も良いと思えるものを探しているつもりで、
忙しさにかこつけて、物質的な豊かさにある種甘えながら、
一つひとつの「材料」や「工法」、その他諸々、
それらがもつ価値を蔑ろにしていたような気がします。
垣根に積まれた丸石も、建物の柱や瓦ひとつにしても、
ひとつ一つに存在する物語を見出して、
その土地を舞台にして編集したものが積み重なり、
そこでしか成し得ない景観や風土が形成されるのだとしたら、
これまでの自分の選択が未来にヴァナキュラーなものとして残りうるのでしょうか。
無造作に落ちているマテリアルは廃材でしょうか。
それとも未来に活きる日を待つ資源でしょうか。
「離島だから時間をかけてやれる」という訳でも、
「地域の特徴的な景観が残る場所だからできる」という訳でもありません。
例えば403 architecture [dajiba] が浜松という都市で、
「マテリアルの流動」の実践をしていたように、
考え方ひとつ、判断ひとつで出来ていたことだなと思い出しました。
日本社会の「最先端」である甑島で、
自分のスタンスを問われたような気がしました。