私は人の手を見ることが好きです。
と書くと変態だと思われるかもしれませんが、手はその人の生き様を表しているようで、それを見るのが好きなのです。すらっとした綺麗な手もいいですが、スポーツでマメができた手や、仕事でぼろぼろになった手も好きです。
この前車を売ってくれた中古車屋さんの手は、車の整備で指先が真っ黒になっていて、それを見て買う決意ができました。私の祖父の手は、畑仕事でいつも黒くてヒビ割れていたので、そんな仕事人の手を見ると、その人のことを信頼してしまいます。
さて、32歳の自分はこれからどんな手になっていくのだろうか?
振り返ると、私はブルースタジオでは「監修業務」を担当することが多く、「実施設計・監理業務」までやった建築設計は最後に担当したhoccoが初めてでした。
「監修業務」では自分とは別に、外部に実施設計者がおり、実施設計者が作成した図面をチェックバックすることが主な仕事になります。主に意匠に関する主要な方針を指示しつつ、詳細な検討は実施設計者にお願いすることとなります。(規模が大きい仕事では監修業務になることもあります)
「実施設計・監理業務」で細かい納まりを考えるとき、概念的なものと具体的なモノのせめぎ合いが生じて、それをどう解決するかをスケッチを描きながら考え、アイデアを思いついた時、概念的なものの見方しかできていなかった頃とは全く別の楽しみがあることに気付かされました。つまり、手を動かさないと見えてこない世界があることに気づきました。
また「実施設計・監理業務」の現場では、ちょっとの変更が、どれだけ人を苦労させるのかを目の当たりにしました。現場でそれを知ることで、設計段階で線を引くことの重さを理解しました。
自分の年齢が上がるとともに、ともすると自分が手を動かさなくても仕事が成り立つポジションになっていくこともあるかもしれませんが、私はその恐ろしさを感じるようになりました。
手を動かすことは時間がかかります。でも、それを省くと見えなくなっていく世界があるような気がしています。もちろん、手を動かす時間を省くことで、また他の世界が見えてくることもあるかもしれません。しかし、自分の仕事がモノに関わる仕事である以上、手を動かすことを自分は辞めたくないとhoccoを担当して思いました。
そういえば、前の事務所で模型をつくっていたらボスから「手つきがまだまだだ」と言われたことがあったのを思い出しました。たしかに、大学のころ教えてくれた恩師はたまにスケッチを描くとき、ペンを持っただけで手にオーラが宿っている気がしました。それは、これまでに何千何万というスケッチを描いてきたからこそのオーラだったのかもしれません。
仕事や好きなことが、手に表れる。
そんな歳のとりかたができたら良いなと思います。