最近進撃の巨人を見て、我々の日常にも「ウォール・シーナ」「ウォール・ローゼ」「ウォール・マリア」のような高い壁が常に建てられているのではないかと思い、バリアについて色々考えています。
◼︎「ウォール・シーナ」編・人のバリア
旅行が好きな私は、旅をする時に滞在期限が30日、90日とかの制限が嫌で、どこにも行ける、好きなだけで滞在できる [地球パスポート] が有ればいいなあとずっと思っていました。旅をしていた時にあそこのこと、あそこの人とのバリアを消さずのまま旅が終わっちゃいましたのを気づいて、それが嫌だと思っていたので、旅をする時に、出来るだけあそこの生活や言葉を理解しようとして、長く、ゆっくり、自分があそこに暮らしているようにしていました。それでいつも壁の外から来た侵入者の立場に立っている私は少しその場所とあそこにいる人とのバリアが薄くなってきた気がしました。
代々木公園に住んでいるホームレスたちが巨人として見られているかもしれないですが、彼らも青いテントを建てて、その「巨大樹の森」の中に自分たちを守るためのバリアを作ってきました。ニュートラルな公園に普通の公園利用者とホームレス人たちの間に厚いバリアが存在しています。人のバリアを溶けるのは立体機動装置ではなく、人のバリアを溶けるのはたまにビール一本である、たまに音楽一曲である、たまにスポーツである、代々木公園の青いテントのバリアを溶けているのはその白いテントの前にあった菜園である気がしていました。
◼︎「ウォール・ローゼ」編・まちのバリア
私はマレーシアにいた時に料理するのが好きではなかったです。それは車社会にいるとスーパーに行くのはめんどくさいし、一回で1週間、2週間の食材を買わないといけないので、なかなか大変で楽しめることはできなかったです。料理が好きになったのは京都で暮らし始めた頃です。3、4分で歩くと八百屋とスーパーがあって、今日作る料理が八百屋で食材を選び、キッチンで調理し、こたつで召し上がるまでの間にバリアがなかったからです。
そして、私はマレーシアにいた時に朝ごはんやに行くのが好きだったです。それは朝の空気、日差し、運動してきたまちの人たちとともに一日の始まりを過ごせるからです。まちの銭湯も同じような空間であり、人と人のバリアを消すまちの中にある特別な空間です。私は公園が好き、キツネやが好きなのは同じ理由です。「マーレ人」と「エルディア人」のバリアを消せる空間はまちのなかにたくさん作っていきたいのです。バリアによる日常的なことを楽しめたり楽しめなかったり、まちとの繋がりを感じられたり感じられなかったりするのを変えたりすることができるのです。
◼︎「ウォール・マリア」編・自然のバリア
旅行好きなので、1年3、4回ぐらい飛行機から自分の故郷を見ることができます。前より緑が少なくなっているなあと飛行機を乗るたびに感じていました。1月前にやっとフジさんに会えました。衝撃を受けてすごく感動し、彼を守りたい気持ちが溢れてきました。ただし、農暮ルに参加した時に自分の故郷と同じく削られている名前の知らない山を見て、この山もこんな運命になったのかとしか思わなかったです。
最近社長との会食で、自然環境アクティビストのイアンさんと自然問題の話をしていました。人間が自然を守りたいのは自然のためではなく、人間のためであるという事実が知っていますが、やはり自然を守りたいのです。ということで、自然環境の課題何でしょうか? 正直に言うと人間が居るから自然環境問題は問題になっていると思い、イエーガーの「安楽死計画」が進めば全ての環境問題はなくなります。ですが、そう言った極端な話以外に、一番大きな課題は「ウォール・シーナ」の中に住んでいる我々は外の世界がどうなっているのかを気にしていないと言うことのではないかと私は思っています。「ウォール・マリア」が巨人に突破されてもまだ「ウォール・ローゼ」があって、「ウォール・シーナ」が突破されるまでには問題を直面するはしないのは決められているかもしれません。谷田先輩が話した水の問題、小林さんが発表した農業の問題も同じく、工業化、都市化による、私たちが自然との間に多くのバリアを建てて、その向こう側を無視しているのです。と言うことで、自然とのバリアを減らし、問題を直面し意識を高まるのが大事だ思います。
2回農暮ルを参加させていただき、久々に自然を頼る生活を体験できていて、薄くなってきた自然環境意識を思い出させてもらって感謝しています。農暮ルは「ウォール・シーナ」と「ウォール・マリア」の外側を繋ぐバリアの中に穴を開ける一人の鎧の巨人であるのではないかと思っています。ですので、皆さんにも是非参加してほしいです。
◼︎「ウォール・ゼロ」番外編・仮想世界のバリア
特に2021年、皆さんがマスクをかけたり、自粛したりし、日常的に様々なバリアを感じているのではないかと思っています。仕事も遠距離恋愛もzoomやskypeなどで距離のバリアを消して、コミュニケーションを取れる時代になっていますが、今年の忘年会で吉川さんが言った分かった気がしたが分かっていない、コミュニケーションが取れた気がしたが取れていないと言うことにすごく共感しています。打ち合わせ、旅行、買い物、友達作り、恋人作りなど様々なことが仮想世界の中に起こっていて、それが会社にいく、店に行く、話しかけるなどいろんなバリアを消しています。でも、その代わりに対面での臨場感、店で探検する楽しさ、人に声をかける緊張感なども一緒に消してしまいます。
仮想世界はおそらくバリアのない世界であるかもしれません、2045年以降人類は仮想世界に生きることになるかもしれませんが、それはつまらない世界だと思っています。私はバリアのない世界を望んではいないです。ただし、現実の世界にバリアのない場がたくさんあって欲しいです。
なんかよく分からない長話になってすみません。とりあえず、進撃の巨人をみた感想を書いてみました。バリアについてはまた調査兵団のみなさんと色々発見して行きたいと思っています。