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R.I.P

こばゆ

心と体の健康を第一に暮らす。最近ハマっていることは公園で昼寝。AGRICULTUREとARCHITECTUREの融合を志す。その先に見える風景とは。


またひとつ、この世から建築が無くなるらしい。

「電通テック本社ビル(通称:電通築地ビル)」
オフィスが築地に移転して、思いがけずこの建築と対面することとなった。


存在は知っていたが、いざ目の前に立つと力強さにただただ圧倒された。この建築と初対面のときは、その存在感に思考が停止してしまった。

その日は何枚か写真を撮って、オフィスに向かったが消化しきれずに、次の日も、その次の日も電通築地ビルに会いにいくことにした。すると、初対面の時よりも細かいところが見えてくるようになった。そこで気がついたことを下記に挙げてみたい。

① 柱が上階に行くほど細くなっている(それに伴って、各階の梁形状が微妙に異なる)
構造体が上階にいくほど繊細になる建築は、畝森泰行+三家大地の「山手通りの住宅」や山本理顕の「福生市役所」など、いくつか知っていたが、私はこの構造的合理性が意匠に現れる手法が好きだ。RC造の場合、柱の太さを一定にしたほうが型枠を使いまわせるので安上がりなはずだが、それをしないところに熱量を感じる。特に現代では中高層のオフィスビルが経済合理性により自動生成されていく中で、構造的合理性を追求した建築は特別なものに見える。

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②柱が八角形をしている
なぜだろう。少し悩んで思い出したのが、1950年代の伝統論争である。その中で丹下健三は伊勢神宮や民家に象徴されるような縄文の系譜の側に立った議論を展開していたが、伊勢神宮内宮に隣接した猿田彦神社では鳥居に八角形が使用されている。これと関係があるかどうかはわからないが、その文脈として自分の中で納得した。

③側面のPC板が大きなリベットで留めているような意匠
梁が飛び出していることとも相まって、意図して即物的に塞いだように見せることで、メタボリズムの拡張性を感じさせているのだろう。この電通築地ビルの提案に際して、丹下健三が築地計画を提出していることからも、この建築単体で終わらせるつもりは無かったのだろうなと想像できる。

④大きなピロティ空間
現代の公開空地とは全く違う考え方で、このピロティ空間をつくったのではなかろうか。地上は都市に暮らす人のために開放されるべきだという強い意思を感じる。

かなり細かい内容になってしまった。

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私が勝手に読み取ったことなので的外れかもしれないが、そんな読み方ができるほどに、この建築は多くのことを語りかけてきた。

この建築を考える上で、先ほど軽く触れた築地計画についても考えたい。

当時の丹下健三の築地計画は、東京計画1960のビジョンの業務ゾーンを築地に具体的イメージとして落とし込んだものであった。現代から見たら大袈裟に見えてしまうが、 高度成長期の当時の日本からすれば決して大袈裟では無かったのかもしれない。
世界ではそれらの計画と同様に、巨匠たちによって描かれた近代の都市計画がブラジリアやチャンディーガルで実現したが、そしてそれは概ね失敗だったと振り返られることが多い。



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(参照元:https://www.tangeweb.com/works/works_no-32/)

一方、現代では、そのような強い意思を持って描かれる都市計画に代わり、暴走する資本主義、新自由主義によって都市が自動生成されるようになっていった。どこの駅前にも同じような再開発、どこのロードサイドにも同じようなショッピングセンターが並び、住宅地には同じようなハウスメーカーの住宅が並ぶ。予定調和の退屈な街だ。このような都市や建物は、何も語りかけてこない。



強い意志を持った都市と、自動生成された都市、どちらに魅力を感じるか?少なくとも、私が実際にブラジリアで感じたのは、ポルトガルから独立し、ブラジルという国の首都をブラジル人の手で作り上げるという強い意志だ。そこでは、日本での普段の生活では感じることのなかった生きることの生々しさを感じた。それを魅力的という言葉にするのにも違和感を感じるが、日本のように闇が見えない自動生成都市よりは、人々が都市に生きている感覚があった。



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築地計画が部分的にではあるが、この築地電通ビルで実現されたとすれば、この建築は日本がかつて経験した社会の高揚を現代に伝えてくれていた存在かもしれない。前回の東京オリンピック後、大阪万博に向けて日本全体が盛り上がっていたときに生まれたこの建築は役割を終えたかのように、奇しくも今回の東京オリンピックに合わせて歴史に幕を閉じる。強い意志を持って描かれた都市や建築が、ひとつ、またひとつと死んでいく。

もはや個の強い意志によって描かれる都市や建築は今後つくられないかもしれないし、それはつくられるべきではないとも思う。


個ではなく、コモンズの意志によって描かれる都市や建築が、次の時代の都市をつくるべきなのではないか?ということが昨今語られることが多い。私もそれには賛成である。コモンズによる都市や建築のあり方を、現代の建築家は模索している。いや、建築家だけではなく様々な人がさまざまな方法で模索している。私も、自分の言葉で、自分の意志で、自分の手で、自分の仕事で、さまざまな人と共にコモンズによる建築・都市のあり方を模索していきたい。自分の言葉を失ったら、それは自動生成に加担することになる。頭ではそう分かっていても、普段仕事をする中で自分の意見を述べることは正直難しい。自分の意見を言っているようで、いつのまにか自分が誰かの代弁者になってしまっていると気づく瞬間が自分でも多々ある。そのほうが仕事はスムーズに進む。


コモンズによる都市や建築をつくる具体的な方法はまだ分からないけれど、少なくとも自分の意思を自分の言葉で伝えること、そして自分の意思と同じように他者の意志を尊重することが必要なのではないかと感じている。資本主義による自動生成は、自分の意見無しに仕事を遂行すること、そして、他者(人だけではなく歴史や環境も含めて)への理解を欠くことによってもたらされるものだから。


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さて築地電通ビルに話を戻すと、強い意思によってつくられた死んでいく建築をじっくりと見て、その意志を理解しようと試みることは、他者を理解する良いトレーニングになると思う。そして、それが今できる私なりの建築の弔い方である。かつての個の強い意志を、死んでいく建築から学びとり、次の時代の都市や建築を模索していきたい。




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