先日久々に研究室の仲間に会い、久々に議論を交わしました。
やっぱり建築についての議論は楽しいもんで、理想の建築がお互いに違うし、それぞれの良さ・悪さのプレゼンテーション大会みたいなノリになってくるのです。
もちろん傾聴した上で意見を交わすことで自分の頭も整理されるのでそういうノリなんか馬鹿にできない大事な時間だなと思いました。
さて、そこで話された議論で一番盛り上がったのは
昨今建築メディアで語られる建築の「軽さ」についてです。
はて、ここでの軽さとは何かというと
バックミンスターフラーの重量とはちょっと違う。軽量化という訳ではない、
いわば社会的な文脈の中での建築の軽さ。
社会的なというあえて抽象的な言葉を使ったのは
・経済性
・社会の流動性
・他者から要請される正し
・仕上げのラフさ
・素地的な表現
・未仕上げな仕上げ
・・・ets
などいろんな階層・事象を包含したかったので、、使いました。
一言に要約すると"VUCAの時代に対して要求された建築は半ば必然的に軽くなるのか"ということでした。
背景として
今もっとも表面化している共通の話題はコロナウイルスでありますが、その荒波の社会で
子育て世帯の平均年収の漸次的な低下や低炭素社会の要請など、カオス化する情勢の中、
個人自体はポリティカルコレクトネスの要請が多分にあり、社会的にならざるを得ない状況になっている中で
"一つの仕事を長期間やり続けるということ自体がリスク"になる
"小さく初めて軌道に乗ったら売却する"
という言葉に表徴されるようなスモールビジネスやマルチタスク化、また決定するスピード等々が
上記の時代に対して素直な回答として見出されているような気がしています。
結果として
建築自体も、"木造の素地を見せるような表現かつそこに至る法規的テクニック"であったり、
正しさの表現あるいは直截的な表現(コンクリート表しなど)
工事費を安くする/小さく始められるような賃料設定にする
若手建築家の中では小さなプロジェクト自体に多くの時間を投入できないアクチュアリティが多く見受けられるようになったのかなと思います。
このこと自体は全く批判する対象ではなく、むしろ社会的な要請の中でこれ以外の回答をすること自体が酷な状況自体が生まれているのかと思います。
"これ以外の回答をすること"それを許容し成立させる状況を作ることが大事なんじゃないかと久々にあった仲間に教えてもらったような気がします。
最後にトップ画は最近話題になっているルイヴィトン銀座
とっても不思議な建築なので、ぜひみてみてください