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直線を前提とすることを疑う

こばゆ

心と体の健康を第一に暮らす。最近ハマっていることは公園で昼寝。AGRICULTUREとARCHITECTUREの融合を志す。その先に見える風景とは。


大地の再生講座というWSに参加してきました。
一般社団法人 大地の再生 結の杜づくり が主催するワークショップで、全国各地で環境に課題を抱えた場所を、その場の自然素材を用いて改善していきます。

私は普段から農業と建築をいかに融合させるか、という課題を持って建築に取り組みたいと考えていました。
その中で、土中環境に視点を持つことは必要不可欠と考えていて、いつか参加したいと機会をうかがっていました。

参加したのは、逗子駅からバスで20分ほどの場所にある浄楽寺の環境改善。
その日は、本堂のまわりの乾燥して固まった土に、水と空気の循環を促すための措置や、池の底にたまった泥さらい、植栽、目隠しの塀つくりなど様々な環境改善が行われました。

当日はスタッフさん含め、40人くらいが集まり、
私のような初参加の方から、造園をやられているプロの方もいて、年齢層も小学生から、60代くらいの方まで幅広く参加していました。

私たち初心者には主催者の方が、行う作業と、その目的を丁寧に教えてくれます。
最初に行った作業は、本堂のまわりの措置。お寺なので石場建ての基礎で、本来土中の水と空気の循環が起こりやすいはずですが、四周を雨水を排水するためのコンクリート側溝が囲っているせいで、それが阻まれていました。そこの土は表面が乾燥していて、風で飛散した粉塵が、周りの植栽帯の土を目詰まりさせてしまうそうです。

まず行ったのは、側溝の内側に小さな溝を掘る作業。
なるべく丁寧に、四角く直線的な断面で掘り進めていたら、スタッフの方が、「自然の形はそんなに直線的ではないです。もっとスコップを縦にして、線ではなく、点の集合と考えて掘ってみてください。線も蛇行していたほうが、水が浸透しやすいです。」とおっしゃっていて、ハッとさせられました。

普段建築をつくるときも、無意識的に直線を理想だと考えてしまいがちです。
しかし、自然の中では、直線こそが不自然なのです。
川も護岸で固められると直線ですが、自然の川はもっと蛇行していたり、エッジが曖昧だったりします。

そういえば、数年前に、実家の田圃の畦道が、土からアスファルトに変わりました。
これは自分の中でけっこうショッキングな出来事で、子供の頃雑草で舟を作って水路に流して遊んだり、草相撲をしたり、カエルを捕って遊んだ場所が無くなってしまって、切ない気持ちになりました。土の畦道は管理が大変というのが、理由だと思います。
しかし、田圃の風景の中に一直線に引かれたアスファルトが、何とも暴力的に思えました。

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実際に、土中環境の観点からしても、アスファルトの道は水と空気の循環を阻んでしまいます。
これは少なからず、田圃の土壌にも影響するのではないでしょうか。
土の畦道は、車が通らない部分に雑草が根を張り、それが雨や風でも道が崩れないように支えてくれていたことでしょう。
アスファルトは一時的にはキレイになり、管理も楽になりますが、そのうち舗装も凸凹になって、むしろ修繕に費用がかかります。土の畦道は雑草を刈る手間はかかりますが、雑草が生えることで、動的平衡が保たれ、崩れたとしても部分的に補修するだけで済むので、むしろ費用は抑えられるはずです。
近代技術は合理的に思えても、実は社会的なコストやリスクを増大させているのは、こんな身近な例でも理解できるし、東日本大震災が私たちに示したことだと思います。

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さて、話が飛びましたが、溝掘りの作業から思いがけず、自然が直線を前提としていないという当たり前のことに気づかされました。

作業はみんなで和気あいあいと行います。
作業の合間にはお茶を飲んだり、お昼ご飯を食べたりしながら時間を過ごすうちに、初対面なのに仲間になったような感覚になりました。
きっと昔は入会地の手入れなどを、地域のみんなで、今回のWSみたいに行っていたからこそ、共同体があったのだなと思いました。

その後、植栽のやり方も教わって、早速自分の庭でも実践したくなりました。
これからも、自然からの視点を持って、既に自分に身体化されてしまっている近代の常識をひとつひとつ疑ってみたいと思います。
まだまだ学ぶことが多そうで、わくわくします。





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