こんにちは
社会人になり、分厚い本はかさばるし。読む熱量が中々無く諦めがちで気づいたら読んでるのは手軽に読める本ばかりの私ですが
今日は読むのに時間がかかる少しだけ厚い本を紹介できればと思います。
分厚い本は体力いりますが、読んだ後は少しだけ見方が加わるのが多いので
少しこもりがちになるこの時は想像力を豊かにしてくれるのでとてもいいかも知れません。
まず一つ目●
1,『日本の近代建築──その成立過程 』 著:稲垣栄三 (1979年)
この本はタイトルの通り日本の近代建築がどのような過程で成立してきたか、当時の時代背景と照らし合わせながら読める歴史の本です。
この本は日本の建築のアイデンティティとは何処か。寺社建築と近代以降の建築は何が違うのか。そんな疑問から学生時代に読んだ本です。
日本の建築はかつてより、大陸の建築の文化を輸入し、独自の体系にアレンジし直す「和様化」というフェーズを行ってきたとされ、
有名な話で言えば、東大寺南大門再建時、重源が当時最先端の輸入した様式を用いながらも
当時の国内の財政状況-[巨木が使用できない]/[金物などない]-
また日本独自の[地震」という問題系に対して
「貫」という水平に強い、かつ部材を省略できる近世まで普及された日本独自の建築技術を生み出しております。
この本は和様化が近代においては
"不平等条約の解約"をモチベーションにし、日本独自の技術を取得するプロセスとして記述してあります。
一番面白いと思った箇所を少しだけ紹介すると
今の建築基準法にもある水平震度というの考えの登場の結果、上の「貫」という構法はなくなってしまいます。
それは日本の建築が柔らかい架構から、計算可能な剛構造へと変わった瞬間でもありました。
おそらくですが、今でさえどっちが優れているかは判断が難しい問題です。
言語化できないものが言語化できるものに置き換わってきた歴史が日本の近代建築とも言えます。
紹介しててなんですが、今はなかなか入手が難しいようです。。。ただすごい面白い本なのでぜひ手に取る機会があれば読んでみてください。
続いて紹介するのは
2,『建築の解体 1968年の建築情況 』 著:磯崎新 (1975年)
言わずと知れた建築業界での名著と言われてますが、実は分厚くて読んだことないとかいう方が多いかも知れません。
この本は、70年代当時の建築家の何を感じて議論されているかということが著者で建築家でもある磯崎により整理されております。
この本は40年前以上に書かれていてもなお、今でもみずみずしく感じるのはとても不思議な感覚になります。
様々な建築家が当時、これからの建築のあり方を夢想しております。そのドローイングや構想は今見てもうわぁ・・・すごいなぁと思うものばかり。
そして忘れてはならないのがこれが50年前。1968年はモダニズムが終わったとされる年です。
今こうして、一つのパラダイムシフトが起きようとしている今この本は実は何かヒントを与えてくれるのではと思いました。
想像が難しい不連続な世界へどう頭や手をつかって形にするか。その想像力がとてもワクワクさせてくれます。
中でも印象的なのはロバート・ヴェンチューリです。彼は自著で建築の多様性と対立性という本を書いていますが、
かつての「〇〇じゃなきゃダメ」、「〇〇であるべき」というべき論的な建築思考が退屈であるといいのけ、
「〇〇でありながら、△△」という曖昧な性格の建築こそが豊かなんじゃないかと主張します。
実は大事なのがこの言語化が難しい「曖昧性」というところなんじゃないかと思います。
建築を作る時だけじゃ無くて何か物事を見るときも〇〇でありながら、△△という見方は使えそうですよね。
気になった方はぜひ読んで見てください。
以上になります。
難しい状況下にいかに近視眼にならず、正解のない未来を想像できるか
ぜひこの機会に難敵にチャレンジを!