いままで仕事でランドスケープデザインを考えることはありましたが、いざ自分の庭をつくるとなると、何を手がかりにデザインすればいいのか?そもそも庭って何なのか?途端に分からなくなってしまいました。
うんうん悩んでいても始まらないので、とりあえず地面をわが物顔で覆っているドクダミを駆逐し、庭に暗い影を落としていた高木を、家族にも協力してもらいながら剪定しました。
地面が見えて、光が差し込んでくると、具体的なデザインは見えないのですが、庭でやりたいことが心に浮かんできました。
庭にデッキを張り出して昼寝をしたい。庭に咲く花を摘んで食卓に飾りたい。庭に果樹を植えてジャムをつくりたい。塀を壊してベンチに改造したい。
やりたいことは見えてきたけど、どんな庭にしたいかということは一向に見えてきません。
本を読むと日本庭園だとか、ナチュラルガーデンだとか、雑木林風だとか、いろいろな見本はあるものの、既にある様式に当てはめて庭をつくるのは、攻略本を見てからゲームをするような感覚になってしまうような気がしたので、自分の性格的には気が進みませんでした。
そんな時、ふと担当した「カスタネア栗平」でお世話になった塚田さんのイベント「めぐり花」に参加したときのコトを思い出しました。学校(世田谷ものづくり学校) の校庭に生えている草花を自由に摘んできて、参加者で順番に草花を活けていきます。
その場とその季節だから、存在する草花。みんなで活けるから自分ではコントロール出来ません。
前の人が活けた形を読み取って、一番美しいと思った場所に活けます。
イベント自体は、時間と器の制限があるので、あるタイミングで完成を迎えるのですが、出来上がったものは、生命力に溢れていて、さらに広がって行くような連続性を感じました。自分ではコントロールできないけれど、その場/その季節/その参加者ならではの「何か」を共有していて、不思議とまとまりのある全体が生まれていました。
「何か」を言語化するのは今の僕にはできないのですが、様々な主体が「美」を判断基準に、場に参加していくというプロセスに、建築や庭、さらには都市の未来を考えるヒントがあるような気がしました。
少し長くなりましたが、このときの経験をヒントに、あらゆる環境から自分の中の「美」を基準に植物や石などを少しずつ集めてきて、美しいと思う場所にそれらを据えていくことにしました。
時にお隣さんから植物をもらったり、気づいたらある植物が枯れていたり、謎の草が生えていたり、自分にはコントロールできない要素も受け入れながら、次の要素を加えて行きます。
この庭のある環境や、自分がアクセスできる植物や石などの構成要素、という条件があることは、きっと、その場に共有されうる「何か」を産み、全体を不思議とまとめてくれるのではなかろうか。と思います。
まだ途中、というか庭づくりはイベントとちがって、完成が無いので、あくまで現段階を切り取った形なのですが、少しずつ庭が活き活きしてきて、庭に出るのが楽しみになってきました。
①実家の庭からハンティングしてきた石
実家にはいつから存在するのかわからない、岩や石がごろごろしています。
実家の庭を散策して気に入った、まるい溶岩とごつごつの溶岩などを持ってきました。
②いつのまにか生えていたシダ
植えた記憶はないのですが、いい感じだったので、切り株の根元に据えました。
③お隣からもらった花
正直かわいいお花は趣味ではないので、あまり植えていなかったのですが、もらったお花を植えてみると庭が意外と活き活きしてきました。
もしかしたら、今後果樹が育てば、鳥が来てフンをして、その中に紛れ込んだ謎の種から、正体不明の植物が育つかもしれません。
これから不確定な要素が増えることに期待し、そこにまた生まれる「何か」とは何なのか考えながら、これからも庭づくりは続きます。