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70年代から学べることとは??-ゴードン・マッタ=クラーク展

さとし

最近鶏白湯ラーメンにはまっています。


この夏休みに色んなところから「つくること」へのヒントが得られないかと思い
知人が行っていたゴードン・マッタ=クラーク展へ行ってみました。


ゴードン・マッタ=クラーク・・・??恥ずかしながら
この展示で初めて存在を知りました。

■ゴードン・マッタ=クラーク

"1970年代にニューヨークを中心に活躍し、35歳で夭折したアーティスト、ゴードン・マッタ=クラーク(1943-78)。アート、建築、ストリートカルチャー、食など多くの分野でフォロワーを生み続ける先駆者。
マッタ=クラークが生きたのは、世界経済が爆発的成長を始める1970年代、そしてニューヨークという資本主義の実験場でした。
そこで行われた彼の活動の核心とは、豊かなコミュニティーの創出にアートが寄与する方法の模索にありました。今日、世界に先立って社会の収縮を迎えつつあるここ東京において、彼の斬新なアイデアの数々は、豊かに生きるためにいま何ができるかを、私たち一人ひとりが考えるためのさまざまなヒントを示してくれるでしょう。"
[美術館サイトより]

40年前の都市で活動していた人。
その時の活動が今の自分にどう繋がるか、と興味をそそられました。
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《スプリッティング》1974


彼の活動でわかりやすいのは
《スプリッティング》1974
という作品
これは郊外の空き家になった家を切れ目を入れるという、すごいふざけた作品なんですけど
実は住宅がどんどん産業化されて「つくる人」(供給する側)と「すむ人」(エンドユーザー)がどんどん隔たる現状に対しての問題を明るみにしたいとか。

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一瞬「???」となりましたが・・・
家の断面をみた時に今までパッケージデザインされた綺麗な家が、生々しいモノとしての家に見えてきます。
というのも住宅産業が住宅を大量供給した結果、生まれたエンドユーザーにとって見えている世界はあくまでも白く塗られた壁で囲まれた世界。

思い返してみれば、実家の白い壁紙が貼られていた壁に穴を開けてしまった時実はすごい薄い壁でできてたんだなぁと思ったことがあります。
作り手は隠しているつもりはないけれど壁の向こうはどうなっているんだろうかは普段は全くわからない。「作る」と「使う」が少し離れてしまうようなそんな気がします。

日本においても戦後ハウスメーカーが百花繚乱のように設立する以前は、家づくりは村単位でしたり「作る」と「使う」の想像力が一緒だったと聞きます。
今まで見てきている世界は「当たり前」なんだけど裏側は全然当たり前じゃなかったりする、そんなことをゴードン・マッタ=クラークは伝えようとしたのかなと思いました。


sg180825_06.jpg

→木の上とか電柱の間とかに空間を作ろうとしてます。
こうやって、ルールや制度でがんじがらめな空間の隙間を見つけて楽しむ感じ。いいなぁって思います。

さとし





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