サトシです。
先日、東京国際フォーラムへ行った際、入口そばに展示されている太田道灌の銅像に出会った。
彼は室町時代に江戸城を築き、いわば江戸の礎をつくった、東京にゆかりの深い人物。
この銅像は、以前に都庁がこの場所にあったころから都庁のシンボルとして親しまれ、都庁が西新宿に移った後もここに存在し続けている。
かつての居城である旧江戸城(皇居)の方角を望みながら。
太田道灌は関東全般において活躍し、庶民から愛され続けたため、彼に出会える場所は他にもたくさんある。
・新宿中央公園の銅像
・JR日暮里駅前の銅像
・埼玉県川越市役所の銅像
・神奈川県伊勢原市役所の銅像
銅像のみならず、関連する史跡もたくさん存在する。
・西日暮里「道灌山通り」と「道灌山下交差点」
・中野区江古田公園「江古田・沼袋古戦場址」
・練馬区石神井公園「石神井城址」
さて、これだけ関東において縦横無尽に活躍した太田道灌。
彼の歴史を探ることで、現代の都市文明が隠してしまった多くの事実を知ることができる。
例えば、彼は江戸城(現皇居)から見える江戸の街の様子を次のように書いている。
「大小の商船の帆や漁舟のかがり火が遠くに見える。これらの舟が高橋(今の日本橋近く)下に停泊し、その集う様は鱗のごとく蟻のごとくである。」
つまり、当時の江戸城はすぐ近くまで海であり、日比谷も新橋も日本橋もすべて海だった。
江戸東京は水の都だったのであり、江戸東京の歴史は埋め立ての歴史である。
今となっては、天王洲アイルやお台場など、東京の埋め立てははるか沖まで展開されている。
そして我々は水辺に惹き付けられるかのように、
水と親しんできた歴史と伝統があるために、この都市は水辺の風景に豊かな感受性をもって接しているのかもしれない。