設計担当ミキです。今回はつい先日、休暇をとって訪れた「奈良県橿原市今井町」をご紹介します。
約600軒もの古い建物が軒を連ね、江戸時代の風景を今に伝える、1993年には重要伝統的建造物群保存地区にも指定された貴重な街並です。
古いものでは350年前、1650(慶安3)年築の建物も残っているというから驚き!
それにはきちんと理由があるのです・・・
町 並散策の出発地点は、環濠の外にある「今井まちなみ交流センター/華甍(はないらか)」。
1903年( 明治36年)に建てられた教育施設で、役場としても長く利用されていた建物だそうです。
今井町の他の建物と比較すると建てられた年代は新しいですが、手の込んだ細工が随所に見られ、こちらも見ごたえのある建物です。
今は観光案内所として活用されており、展示室では今井町の200分の1の復元模型が見られます。
また、事前に予約をしておくとボランティアガイドさんに町案内をして貰う事も出来ます。
今井町の発祥は室町時代。
江戸時代初頭(17世紀)に建てられた称念寺というお寺を中心に寺内町として栄え、その後、南大和地方における商業の中心地として発展しました。
↑写真は称念寺。建物が傾きかけており、丁度修繕に着手し始めたところだそう。
入母屋造・本瓦葺の屋根が迫力です。
東西約600m×南北約310mの環濠集落で、周囲には2重のお堀と生垣による塀が張り巡らされていました。
戦国時代には石山本願寺について織田信長に反抗し、自衛のために環濠城塞都市を形成。今井郷民たちは明智光秀ひきいる軍勢と長く戦い、ついには降伏を余儀なくされたそうです。
しかし降伏したおかげで戦火を免れ、その姿を今にとどめることが出来たのです。
地の利もあり、多くの商人が移り住んであらゆる商売が行われ、江戸時代の初めには人口約4400人・家数は1000軒を超え、商業の中心地として栄えました。
江戸後期には重税により町は衰退に向かいましたが、自治意識が強く、明治時代に持ち上がった鉄道駅の建設に反対。結果、都市化による変革をも免れる事になりました。
今も多く建ち並ぶ伝統的様式の町屋の特徴は、切妻造・平入・前後庇付本瓦葺、正面は格子・出入り口は大戸構え・・・。
建設にあたっては決まり事も多かった様ですが、それぞれ工夫を凝らした独創的な意匠・デザインになっており、町人の美意識の高さ・豊かさが伺えます。
内部に入ると広い土間があり、土間に面して居室が3間×2間並ぶ、いわゆる"六間取り"といわれる造りになっています。
居室は道路側がお店部分、中央は今で言う主寝室、奥に仏間が配置されています。
土間を抜けると庭があり、家の一番奥に蔵があるのが一般的な造りの様です。
土間にはかまどがあり、吹き抜けとなっている高天井を見上げると豪壮な梁組が見うけられます。
煙出し窓・屋根があるのも特徴。
このあたりの様式は、広さに違いはあれど京都などの他の地域の町屋とほぼ同じ。使い勝手や決まり事から生まれた機能的・合理的な造りなのでしょう。
さて、町屋の街並は京都などいろいろな地域で見ることが出来ますが、今井町で特徴的なのは残存する建物の建設年代の遍歴・幅の広さです。 江戸時代初期のものから幕末まで、少しずつ時代が・様式が変化していく様を建物の随所から読み取る事ができます。
例えば
↑写真左側、 土間の煙出し屋根の形状・向きが違っています。こうしたところからも年代の違いが読み取れるそうです。
↑写真右側、手前の建物は2階部分が低く、窓も小さい"虫籠窓"という仕様で造られています。これは高貴な方が前の道路を通られる際に見下ろす事が無い様に、という決まり事からこのような形になっているそうです。 奥の建物は幕末期に建てられたもので、比較的近代に近い、発達した二階建ての様式になっています。
これは表の格子の写真。中桟部分・縦格子の裾の部分が少し曲線を描いているのが判りますか?
なんとこれは長年の葺き掃除によって削られた痕跡!
家を守り・大切に使い続けてきた確かな時間の経過が感じられます。
そんな今井町では今も建物の修復・保存活動が進められています。通りを歩いていても改修工事中の建物が多く見受けられました。
外観は残しつつ、内部を現代的に改装しているお宅も多いのだそう。
このような保存活動において、もっとも重要で大変なのは「住民の意識をどのように高めていくか」という事では無いでしょうか?
当たり前ですが考え方・利害は人それぞれ、時期や代変わりなどで常に状況は変化してゆきますから、皆の意見を平等に聞きとりつつ、状況の変化にも柔軟に対応していかなくてはなりません。
それらをまとめるファシリテーターの存在が、町の存続・発展の要になるのではないかと思います。
今の今井町からは「生きている」という印象を受けました。
観光地化されてはいるけれど、からっぽの展示室みたいな建物ではなく、商業目的で箱だけ利用されている建物でもなく、(もちろん一部そういう建物もありますが) 人の生活が営まれている家に招いて頂き、覗かせて貰う感じ。
箱階段も。庭にある井戸も。昔のままの玄関も。レトロな郵便受けも。
どれも現役で使い続けられていて、それがとても魅力的に見えました。
しかしこれは今の今井町の姿。
昔の造りは不便も多く、そこでの暮らしは楽ではありません。維持していくには努力と忍耐が必要で、おまけにお金もかかります。
世の流れと同じく、若者が減り・お年寄りが増えてくれば、それらの問題はより一層深刻化していくことでしょう。
それらの内面的に出てくる問題は単なる保存活動やリフォーム・助成金なんかでは解決出来ない事の様に思います。
街並や建物を残すこと・そこで生きること。
今求められている価値を発掘し、柔軟な発想を持って街・町を再生する『街並リノベーション』こそが、これからの街づくり・町再生に必要なのではないでしょうか?
(ミキ)