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かわいい自己確立

kaz


こんにちはカズです。
我が娘も順調に育っています。
最近は両手を広げたり、自分の手を組んだりしています。
小さな手をばたつかせている姿はかわいいし、見ていて飽きません


この行動を育児書をしげしげと見ていてたら、乳児は自分の手足に対する認識がなく、自分の手を触ったり、振ったりして「自己」の認識を確立していくということが書かれていました。

その内容見ていたとき、フラッシュバックのように学生時代に読んだ本が思い出されました。

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本のタイトルは「かくれた次元」。エドワード・ホールというアメリカの文化人類学者の著書です。
初版は70年となんと約40年前の本ですが、検索をすると今も出版されている本です。
また松岡正剛氏が「千夜千冊」でも紹介していたことは私にとってちょっと驚きでした。


内容は生物学的な見地から各感覚器に於ける「距離」、「空間」について。この空間の感覚が生物にとって重要なことである点。
もう一点は文化に対するアプローチ。バックグラウンドが違えば、不快に感じる距離、緊張が生じる距離、親密さを表す距離が違うと言うこと。
ホールは「密接距離」、「個体距離」、「社会距離」、さらに「公衆距離」という4段階を設定し、それぞれの距離に於いて、人間の振る舞いがどうなることについて、長年の研究の結果を述べている。

この距離の感覚が文化のバックグランドによって異なり、例えばアメリカ人が初対面の人と話す距離に於いて不快と感じる距離が、アラブ人とは異なることや、日本人の会釈のコミュニケーションを諸外国の握手の文化からは特異に写るなど...

文化と空間と関わりを非常に分かりやすく尚かつ興味深い解説がある本だと思います。
私は、大学院の研究内容で個体距離(自分の身体と感じる泡のような空間)と建築空間の関係に於いて研究した為、同書を参考文献、いや入門書として大学の研究室では「バイブル」扱いでした。

「千夜千冊」でもあげていますが、この本の中でハッとしたフレーズは


「文化はぬぎすてることはできない」。


なるほどバックグランドはいつまでもつきまとう。

海外で生活をした人などはこの距離感の違いは如実に感じるとおもう。それも、生活だけでなく物の考え方のベースとなっていることを。
逆に(ほぼ)単一民族の日本にいるとその「ギャップ」を感じる事は少ないが、微細な違いに逆に神経質になったりするのかも。

この子が大きくなるときには、日本は「多民族」になっているのかななんて考えていた、今日この頃です。

kaz





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