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INTERVIEW No.46


Love modest Thank

ジーアールピー / GRP

音楽大学の作曲専攻学部に入学され卒業後本格的に作家活動を開始したGRP(ジーアールピー)さん。現在は特技の楽器演奏を生かし作家活動に加えてアーティストのサポートキーボーディスト、ギタリストとしても活動。そんな多方面にわたり活動する音楽のマルチクリエーターの彼は海外へも進出!GRPさんの大切にしていることをお届けします。

ブルースタジオ(以下、BS) GRP

BS どうして「GRP」さんというお名前なんでしょうか。
GRP 「GRP」と言う名前はあだ名がございまして。学生の頃にゴリラと言われ「ラ」はそのまんま「ゴリラ」になるから友達に「可愛くしてっ」て伝えたら、誰かが「ピー」をつけたのがはじまりで、「ゴリピー」に。 これから音楽活動において自分の名前をクレジットしていく時に、ゴリピーの頭文字をとって「GRP」にした。 他に色々考えていたけど、しっくりこーへんくて。アルファベット3文字がカッコイイと思ってたから、1分2分ぐらいで考えて決定した感じ。 でも学生の頃からのあだ名やから愛着はあるね。
BS あっという間に決まったんですね!凄い!音楽に目覚めた時期はいつですか?
GRP iw46_02.jpg たまたま家に母親が結婚した時に婚礼家具でアップライトピアノをもらい、そのピアノを小学校2年生ぐらいから遊びで弾くようになった。 またその時に学童保育に入っていてその部屋にもピアノがあって、そこの先生が有名な「エリーゼのために」を毎回決まった時間に弾いていた。 そのクラシックタイムにハマってしまって、楽譜読めないけど聴いて真似して弾いていた。それがはじまり。 今じゃ聴いて弾くなんて無理やけど、子供やったからスッと入ってきたんかな。 子供って吸収力あるやん?ハマったもんワーって行くやん!それでピアノを弾くようになって、学童行くたんびに弾くようになった。 ピアノを弾くようになって時間が経ち、小学校5~6年ぐらいにいじめがあった。 友達いないしやることも無いし音楽しかなかった。ピアノに打ち込めて、ギターとかも弾き出した。 そのいじめられた期間があったから、本格的に音楽で将来やりたいなと思って小学校の卒業文集に夢を書いた。 凄い音楽にどっぷり浸かった。中学生からはバンドをやり出して、その時にドラムをし始めオーディションとかにも出た。 時代は小室さんブーム到来。浅倉大輔さんとか。 その時代に打ち込み音楽っていうのが、(打ち込みっていうのがバンドじゃなくても楽器1個で全部制作できることなんやけど、)それが流行り出した時期で中学3年生の時に興味を持ち出して、シンセサイザーをおじいちゃんに買ってもらった。 そのシンセサイザー1個でシーケンストラックを組んで、(シーケンストラックというのは1トラックがピアノ、2トラックがドラムなどでそれを組める機能がついているシンセサイザーで)当時27万円程。 今中古で8万ぐらいみたいやけど(笑)打ち込みを高校1年生頃から本格的にはじめ、高校生でも新しいバンドを組んでいた。 中学生の頃のバンドは、喧嘩とかそれぞれの進路のタイミングが重なって自然消滅みたいになってしまった。 高校を卒業し、就職しようか悩んでいたら知り合いがピアノを習っていて、その先生が音楽大学の講師だった。 その先生に曲作っていることを話してもらったら「一回聴かせてよ」と話しが舞い込み、曲を聴いてもらった。 「いいやん!うちの大学にどう?」ってなって音楽大学に行くことになった。
BS では、最初は就職することしか考えていなかったんですね。大学生活はいかがでしたか?
GRP iw46_04.jpg 大学に入って時代が凄い変わったのが、クラブシンガーが流行り出した。 例えばケツメイシさんとか。RIP SLYMEさんとか。m-floさんとか。 そういうクラブミュージックが盛んになってきた時期で、みんなラッパーやシンガーになりたいって人が多かった。 その当時自分は打ち込みできていたから友達の歌とかを作ったりしていた。 18から19歳の頃、その友達がライブで自分のトラックを歌ったり、大阪のアメリカ村のクラブとかで発信していた。 それがアレンジをするという今の原点やった。 そのクラブ内で色んなアーティストを紹介してもらったりして、友達以外の人の曲をつくるようになった。 ET-KINGさんとかに出会うようになって。 現在クラブは衰退しているけど、昔は凄い盛んだったからゲストがたくさん来ていた。 今ではとても有名な人達が当時のクラブを盛りあげていた時代があり、そこに行ってトラックメーカーとして紹介してもらった。 曲を配ったりもしたけど簡単に決まるわけでもなく、自分の音がプロでないことでリリースできるようなレベルじゃなかったから、 先輩にてとても厳しく言われ、「もう音楽辞めた方がいいんじゃない。辞めた方が給料の決まったまともな道進めるよ」、 「だせーよお前の曲」、「才能ないから辞めれば」とか。でもそういう事を言われた事がバネになって、見返してやる!という気持ちがあった。 それで自分を磨く期間があって曲もいっぱい作って。
BS たくさん作曲されていたんですね!転機をはいつだったのでしょうか?
GRP iw46_05.jpg メジャーで1番最初に決まった曲は、2010年12月15日に発売されたSpontaniaさんの「ONE」という曲でメンバーと一緒に作った曲だった。 そこに至るまで結構作っていたけどポンポン決まる訳でもない。 でもその1曲から自分の話ができるレベルに達した。 1曲しかないけど、メジャー1曲手掛けていることで周りの反応は違い、自分の曲を認めて頂けたという自信にもつながった。 この1曲のメジャーデビューが大きな転機だった。 そこから、Spontaniaさん、ET-KINGさん、SEAMOさんとかの曲を手掛けさせてもらえるようになり、またその人たちの繋がりで新しい人達を紹介して頂いて、その方々に曲を送ってきた。 その期間は自分を磨く期間とは違い、自分自身がめっちゃ鍛えられた。色んな曲を作って納品するという作業ってやっぱりもちろん遊びでないし、リリースに向けて動くということは「ノリ」とかではなくて、ちゃんとした大人が動いて「このような曲にしてください」っていろんな修正もあって凄い大変やった。今も大変やけどそういうことの繰り返しでスキルが上がっていったことを感じられた。25歳でメジャーデビューしたけど、もっと早くデビューする人が多い。
BS 1曲の価値や大切にしていることを教えてください。
GRP iw46_07.jpg デビューしてもお金とか突然入ってくるわけではない。作家の武器は自分のクレジットが大事と共に見合った実力が必要だ。 今は事務所に所属しているので、アレンジ料や1曲のトラック代含め、会社やマネージャーがしっかり交渉をしてくれている。 月に15~20曲程作っていて、浮かんだメロディやフレーズはボイスメモやレコーダーに保存。 後でトラック組んだりして日々アレンジしている。曲を作る時にとても大切にしていることは「テンション」。 環境によって頭の中に流れるメロディが違うし、曲を作っていく過程で、マイルストーンがあり「ジャーン」って弾いた時に、「キター!」って思うことがある。 説明が難しいね(笑)。時には全てが見えている曲があり、その曲はとても充実した気持ちになる。 音楽を作る上で大切にしていることは、自分の得意なヒップホップ系やバンド系なこととプラス現代(いま)一番流行っていることに注目しもっと特化し、世界で何が流行っているか、世界最新の音とかっていうのを常に聴く事を大事にしている。 また、昔のルーツの曲、例えばブルースだったり、ロックだったらこの歌手であったり、そういう音楽を聴いて勉強をしている。
BS 今、なにを目指しいますか?
GRP iw46_08.jpg グラミー賞を取りたい。自分の「今の夢」です。 40歳前半までに取れるように、O1-ビザの取得申請準備を弁護士と進めている。 ロサンゼルスで作曲したり、現地のライターさんとやり取りをしていて、今までに5回くらいロサンゼルスに行って活動をしている。 このロサンゼルスに行った事がきっかけで、グラミー賞受賞が「今の夢」。 ロサンゼルスの環境、海外の環境で曲を作ることが自分の肌にあっていて、昔音楽に出会った時の「わくわく感」と同じ感覚。 なんでかというと、アメリカとか海外ってみんな楽しんで曲を作る環境があって。 例えば踊りながら作ったり、音楽を楽しんでいるという姿勢が凄く好きで。 日本にも似たような環境はあるけど、やっぱりアメリカや海外で流行った音楽が日本に来ていることもあって、そこの真髄やsoulが自分に合う。 自分もそこで頑張って認められてグラミー賞取りたいな。今、アメリカと日本を行き来している。 事務所に入ったことで素晴らしいマネージャーがついているんだけど、そのマネジャーが曲を愛してくれている人、俺らが作った曲を大事にしている人で、その曲に対してのアドバイスも的確にしてくれる。 その曲を持ってプレゼンしてくれたり、精力的に一生懸命やってくれる方がいてとてもよかった。 「作家が寝てなくて作業しているのに私は寝れない!」という人で、その言葉で自分ももっと頑張ろうと思うことがある。 アメリカで活動することも凄い応援してくれている。
BS アメリカでの活動をしようと思ったきっかけはいつですか?
GRP アメリカへ目を向けたきっかけは3年前。作家で同級である「KAY」がきっかけだ。 最初KAYがロサンゼルスに行き、その誘いを受けて一緒に行った。 KAYは同じ事務所所属である以前に、高校の同級生でバンド仲間、大学も同じ大学だ。 彼とは21歳の時にユニット"L-m-T(Love modest Thank)"を結成。 一緒に作曲活動していることもあるが、ユニットを組んだ理由は、「俺らが良い景色を一緒に見れたらいいね。将来成功したいね!いつかこの"L-m-T"が大きくなった時に。」という想い。 アメリカに行ってグラミー賞取りたいというのは"L-m-T"の為でもあって、自分のためでもある。
BS 今、大切にして過ごしていることを教えてください。
GRP どういう立場であっても、調子に乗らず自分を見つめ直すこと。なぜそう思うかというと、色んな先輩方が素晴らしすぎて。めっちゃ売れているのに、自分みたいな若手でも気を使ってくれる。それができる人って自分のことをよく知っている人だと思う。活躍している人達の共通点は誰であっても気を配ることができる人。そんな先輩達を見ていて自分もこう人になりたいと思う。自分の周り人を大切にできる人が成功する人だといながら過ごしている。これからロサンゼルスに行く機会が増え、そのスタイルを吸収して日本にない音を、曲にできればなと思う。
BS これからのGRPさんのご活躍楽しみにしています!
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2017年6月29日 東京・六本木『 TV ASAHI MUSIC 』にて
インタビュアー:平尾 美奈 撮影:大木 錦之介(すべて、blue studio) 写真提供:GRP

ジーアールピー

GRP

音楽大学の作曲専攻学部に入学。
卒業後本格的に作家活動を開始し、様々なアーティストの楽曲を手掛ける。
また数々の楽器を多彩に使いこなすことを武器として幅広い作家活動を展開しているほか、現在は特技の楽器演奏を生かし作家活動に加えてアーティストのサポートキーボディスト、ギタリストとしても活動する。
多方面に活躍するマルチクリエイター。
https://www.grpmusic.com/

WORKS
■楽曲提供アーティスト
ET-KING / utara naoya(AAA) / KAT-TUN / 関ジャニ∞ / Kis-MyFt2 / 剛力彩芽 /
ケツメイシ / SEAMO / ソナーポケット / SOLIDEMO / ジャニーズWEST /
SNUPER / 西野カナ / hitomi / BOYFRIEND / MY NAME etc

■雑誌掲載
2015年2月9日
『サウンド・デザイナー3月号』内コーナー「作・編曲家の仕事術」

■WEB掲載
2015年12月10日
Music Factory Tokyo 『L-m-T とイワツボコーダイが語る、音楽との適切な距離感とは?』
http://musicfactorytokyo.com/special_detail.html?id=1063






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